レディ・ヒリンドンの花摘みは、ソヌの父が経営する、バラのプラントの人達の協力で、早朝から行われることになった。
ソヌの方針が上手くいくよう願うハジンは、花摘み作業に自ら手を上げた。彼女は、ソヌには内緒で、早朝5時前に、ノ主任と待ち合わせして研究所にやって来た。バラの香りは、早朝、開花するときが最も強いため、この時間の作業となるのである。
花摘み作業を開始する前、ノ主任が挨拶した。
「今日は朝早く、レディ・ヒリンドンの花摘みをお手伝いいただいて、ありがとうございます。ティーローズの香料サンプルを、もう一度作成するためなのですが、よろしくお願いします!」
「開花するときが一番、バラの香りが強いって本当なんですね!日中と全然違います。」
ハジンは、傍らにいる中年の女性に、少し興奮気味に話しかけた。
「そうですよ。香水の中にいるみたいでしょ?」
「お嬢さん、ソヌ坊ちゃんの下で働いているのかい?」
向かい側にいる初老の男性が、ハジンに聞いてきた。
「はい。去年から、会社の商品開発の仕事でお世話になっているんです。」
『ソヌ坊ちゃん』というのだから、このおじさんは、理事を昔からよく知っているのだろうな。ハジンは、バラの花を摘みながら聞いてみた。
「あの、ユ理事はバラのこと、とてもお詳しいですよね?」
「そりゃそうさ。小さいときから、プラントでよく遊んでいたからね。きれいなものが好きな性質なんでしょう。小学生のときは、図鑑を持ってきて、よく見比べていたよ。」
「そうなんですね。…あっ、痛、」
「ほーら、気をつけないと。グローブを着けなくちゃ。バラのトゲは結構痛いものだよ。」
慣れないハジンは、最初グローブを着けていなかったので、手に幾つか傷を作ってしまった。
作業後、主任は本社に戻ったが、ハジンはソヌに報告することがあったので、そのまま居残り彼を待ち受けることにした。せっかく朝早く研究所に来たので、香りのバリエーションを奏でるバラたちを巡った。
ソヌが出勤したとハン秘書が教えてくれ、ハジンは理事室のドアをノックした。
「理事、おはようございます。」
「おはよう…ハジン、いつもより早いじゃないか。どうしたの?」
ソヌは、部下のハジンを名前で呼ぶようになっていた。
「今日は、レディ・ヒリンドンの花摘みだったんです。私も参加させてもらいました。香りは開花のときが一番って本当ですね!また来週、参加させてもらおうと思ってます。」
ハジンは、ソヌのデスクまで行くと、書類ケースの中から分厚い会議資料を取り出した。
「こちらは、昨日の本社の経営会議の資料とサマリーです。理事には、プロジェクト関係のところ目を通してくださいとのことです。」
彼女は、それらをサイドテーブルできちんと揃えてから、ソヌのデスクに丁寧に置いた。座っているソヌは、目の前に差し出されたハジンの手に、バラのトゲの傷がいくつか刻まれているのを目ざとく見つけた。
「随分傷を作ってしまったんだな。」
と言って、ソヌは、おもむろにハジンの右手を手に取った。
彼はまるで傷ついた小鳥か何かを扱うかのように、自らの両手の中にある、彼女の手を丁寧に観察し始めた。
ハジンは理事につかまれた手をどうすることもできず、傷の説明をすることさえ出来なかった。ソヌの顔を見ることさえも。
朝の陽射しがそこだけに注がれているかのように、右手が熱く、二人はただ、ハジンの傷ついた手だけを見ていた。
胸の動悸が聞こえてしまうのではないかと思った瞬間、ソヌは何もいわずに静かに彼女の手を放した。表情に、何かの痕跡を見つけることは出来なかった。
その後、二人は何事もなかったかのように、
会議資料の読み合わせや、データの受け取りや、工場との打ち合わせの日程調整など、いつもどおりの予定をこなした。しかし、ハジンにとっては、内心、どうやって過ごしたのか分からないような午前になってしまった。
二回目の花摘みには、会社からはハジンだけが参加した。
「お嬢さん、またお手伝いに来たの?会社の人なのに熱心だね。」
前回、ソヌを坊ちゃんと呼んでいたおじさんだった。
「主任は今日来れないので、私だけですが参加させてもらいます。少しですが、お手伝いできるかと思って。」
「それにバラの香りの中にいるのが好きなんです。あ…理事(!)おはようございます。」
そのとき何とソヌがふらりと現れたのである。
「うん。おじさん、お久しぶりです。まだまだ現役ですね。」
ソヌはハジンの顔を大して見もせずに、おじさんの方を向いて愛想よく話しかけた。
「ソヌ坊ちゃん!理事自らお見えとは!こんなに早くに、娘さんは今日どうしたの?」
うきうきした様子で、おじさんは聞いた。
ソヒョンのことも、よく知っている人のようである。
そうだわ、ソヒョンは今朝どうしたのだろう?
こんなに早く、実家にあずけてから来たのかしら?
「ソヒョンは昨日から実家にいます。僕も今朝、実家から来たんですよ。たまには泊まれと、両親が言うのもありまして。」
「プラントのみなさんには、僕のせいで二回も手伝っていただいてすみませんね。」
ハジンは作業の手を止め、ぽかんとして二人のやり取りを聞いていた。おじさんとひとしきり昔話をした後で、やっとソヌはハジンの方を向いて言った。
「グローブは着けてるか?摘むときは、ここを持ってこうすると…上手く摘めるんだ。」
ソヌはハジンに、バラの扱い方を、あれやこれやうるさく指導した。
わざわざ、前の日から、実家にソヒョンをあずけてまで此処に来たの?
プラントの人達に協力してもらっているからよね、余計なお仕事をさせてしまったからよね、きっと。
プラントは彼のお父さんの企業だもの。
オーナーの息子として責任を感じてのことだわ。
理事は、そう言っていたじゃない。
ダメよ、ハジン、独りよがりの妄想や期待を抱いては…。
バラの芳香の中で、すぐ隣同士で作業をしていると、ハジンはソヌに包み込まれているような錯覚を感じた。
その後、商品開発は順調に進んでいった。
プロジェクトにおけるハジンの担当部分は、もうすでに終盤に入っていた。
チルソゲ・ソンムル第9章
曲がり角③に続く
(11月25日一部修正しました)
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