ソヒョンは、ハジンによく懐いた。
ハジンお姉ちゃんも見に来てねと言うので、ハジンは運動会にこっそり行って、ソヒョンに手を振って応援した。ソヌを見かけたのだが、彼の両親らしき人と一緒でもあったので、ハジンは、見つからないよう、その日は早々に引き上げた。
ソヌがプライベートに立ち入られることを、もしかしたら嫌がるかも知れず、その後も、運動会のことは、ハジンは口に出さなかったし、上手い具合に、ソヒョンもパパの前で、言い出しはしなかった。子どものソヒョンにとっては、運動会は、すでに終わった行事でしかない。子どもの興味は、いつも、目の前のことにあるのだろう。
その後何日かして、突然、ソヌに誘われて、ソヒョンと三人で遊園地に行くことになった。ハジンにとって、結果として、何やら狐につままれたような一件だったのだが。
保育園のお迎えの後、運転しながら、ソヌが急にこの話を持ち出した。
「予定が入ってなければ…今度の土曜日、ソヒョンと遊園地に行くのだけれど、もしよかったら、君も一緒に来てもらえる、なんて可能?」
「ハジンお姉ちゃん、行こう、行こう。ソヒョンの乗りたい大きなブランコがあるの。」
「バイキングの舟のブランコなんだが、俺ちょっと苦手で…。三半規管が弱いんだろうな。」
ソヒョンが、大ブランコ「バイキング」に乗りたがっているが、三半規管の弱い自分は苦手だから、代わりに一緒に乗ってくれる人が必要だというのだ。変な理由ではあったが、ハジンは、休日にソヌ親子と一緒に過ごしてみたい、という思いの方が強かった。
「ふふ。理事でも苦手なものってあるんですね。土曜日あいてますよ。ソヒョン、お姉ちゃんも一緒に付いて行くね、楽しみだね。」
「やったー。」
ところが、その日、「バイキング」に乗る段になると、ソヌは意外なことを言った。
「俺も久しぶりに乗ってみようかな。やっぱり親として責任がある。」
「え?三半規管が弱いんじゃないんですか?」
「一番前と一番後ろは、落差が大きいけど、
ちょうど、真ん中の席なら大丈夫なんじゃないか?位置エネルギーの差があまりないから。物理は高校で取らなかった?」
「?」
ソヌのまことしやかな理論に、ハジンは消化不良気味ではあったが、とりあえず納得した。ソヒョンはキャーキャー言いながらも、怖がることなく楽しそうだった。その様子を見ながら、ソヌも笑っていた。
「平気そうに見えるけど?三半規管は大丈夫なの?」
ハジンは、ソヒョンをはさんで向こうにいるソヌを不思議そうに見た。
まあ、いいわ、これ以上、理事には聞かないでおこう、私を必要としてくれたことは確かなのだから。
ソヒョンが、子供用の遊具に一人で乗っているとき、ソヌは隣のハジンに言った。
「今日は、付き合ってくれてありがとう。」
「いいえ。私もソヒョンと一緒に楽しませてもらいました。何て言うか…理事は子どもを遊ばせるのが上手ですね。」
「俺たち親子のことは、君も社内でいろいろ聞いているだろう?」
ソヒョンに手を振った後、ソヌは続けた。
「ソヒョンが二歳になった頃、アメリカから帰って、一緒に暮らし始めたが、最初は懐かなくて大変だった。自分の子なのにね。」
「それまでは、ほとんど両親に育ててもらったようなものだから。よく熱は出すし…。最近やっと、ソヒョンも俺も落ち着いてきたところだよ。」
「そうなんですね。」
ソヌが、過去のことを話すのは、ほとんど初めてだった。不意を突かれたハジンは、差しさわりのない相槌を打つしかなかった。
しかし、奥様の話にはならなかった。きっと、ソヌにとっては、家族以外には話せない、大切なことなのだから、当然だ。
ましてや、若い部下である自分には。
それに、奥様のことを、自分は知りたいのか、知りたくないのか、ハジンは、このところ分からなくなってきていた。
ハジンもソヒョンに手を振った。
初夏を迎えるころ、研究所のバラたちが一斉に咲き出した。
ハジンは、ソヌが実験作業をしているときなど、空き時間でハウス内を見て回った。作業を終えたソヌが、ハウスにやって来て、バラの説明をしてくれることもあった。
彼は、研究所や父が経営するプラントにある、ほとんど全てのバラの名前、花によってはその芳香までも熟知しており、それらの逸話もたくさん知っていた。
「これは、エミリー、甘さは控えめで、ハーブ系の青っぽい香りがする。イングリッシュローズに受け継がれている香りだ。」
「本当だ、あまり甘くない。見た目はコロンとしていて、可愛い形の花ですね。」
「こういう花びらが多くて放射状に咲くのは、ロゼット咲きというんだ。」
「デインティ・ベスと比べると、形も香りも全然違いますね。同じバラなのに。」
「ハジン、君は、馬鹿の一つ覚えみたく、ベスにこだわるんだな。」
あれ、今、ハジンって呼んでくれたの?
「だって、初めて名前を覚えたバラで、プロジェクトの香料、スパイシーラインのシンボルですからね。形がバラらしくなくて、香りは魅惑的で、ちょっと不思議なバラだと最初に思ったんです。」
「理事から説明されるまで、私、バラって色の違いでしかないと思っていたんですよ。赤バラ、白バラ、ピンク、黄色、新種で紫のもあるんだなって。私って幼児レベルですね。」
ハジンは、自分の無知を隠すことなく、素直な気持ちで言った。ふと見上げると、ソヒョンに向けるような、ソヌの優しい微笑があった。
ハジンは慌てて下を向いた。
プロジェクトが始まって、そろそろ一年になろうとしていた。
「プロジェクトのお仕事、一年経過、お疲れ様。」
ハジンとリナは、アックジョンドンのカフェバーで、カクテルのグラスをカチャリと鳴らした。
「正直言って、ハジンがこんな本格的な仕事、
一年も持ちこたえられるなんて、ちょっとびっくりしてる。」
「ひどいな、リナったら。私はどんな仕事だって、いつも全力投球じゃない?」
それから、販売で一緒だった子達の話を一巡した。「寿退社」した同期が、二人もいたのには、少々驚いた。あと数ヶ月したら、このプロジェクトでのハジンの仕事も終わり、また、以前の販売の現場に戻るのだ。ハジンは、この盛りだくさんの一年を思うと、少し不思議な気がした。
「ファン主任って、もともと販売員から生え抜きで、昇格して今の立場になったんですって?」
「そうだったかも。」
胡桃を口に運びながら、ハジンは、何気なく答えた。
「ジヘ達が同じ店舗で働いたことがある関係で、ちょっと前に、ファン主任を囲んで飲み会をしたの。私も誘われて行ったのよ。」
リナは、フルーツをフォークで丹念に切り分けながら言った。
「ファン主任に、あなたのこと聞かれたんだけど…あなたと研究所の理事ってどういう関係?大丈夫なの?」
「大丈夫って、私は何も…。理事は会社の上司ではないけれど、プロジェクトでは私の上司という人よ。」
ハジンは、リナに、自分の気持ちが読み取られないか、内心ひやひやしながら、至極当たり前のことを言った。また、ファン主任が、ソヌとハジンのことを、リナに聞き出したということが、どんよりと重く胸にのしかかった。年恰好が理事と近い、ファン主任は、全体ミーティングのときなど、理事に、にこやかに話しかけていた。
「あなたが、研究所の帰りに、理事によく車で送ってもらっているみたいだって。どんな子なのって聞かれたのよ。」
ハジンは、以前、総務の社員に、交通費をフルに使用していないことを聞かれたのを思い出した。ハジンは、時間が合えば、理事の車に便乗させてもらっていると、正直に答えていたのである。
こんな形で自分に返って来るなんて。
ハジンは、いかに自分が考えなしで、無防備であったかということに気づかされた。ハジンが、高速バスの事情や、ソヒョンの保育園のお迎えのことなど、当惑した表情で説明すると、リナは声のトーンをずっと柔らかくして言った。
「いくら一緒に働いているといっても、相手は理事なんだから、けじめをつけておいた方が無難だわ。ファン主任には、たまたま時間が合っただけのことじゃないですかって、真面目な子ですって、言っておいたからね。」
リナの言うとおりだ。
これからは気をつけなくては。
理事にも迷惑がかかることになりかねない。
バスの時間もさることながら、ソヒョンや、
ソヌと(もう自分の気持ちに嘘はつけなかった)一緒に居たくて、流れにまかせていたことを、ハジンは自戒した。
ありがたいことに、週明けから四日間、若手社員の集中研修があるから、しばらく彼の研究所に赴くことはない。きちんとリセットしなくてはいけない。
そして、私の気持ちは…私の気持ちは、後で、どうするか考えよう。
ハジンは、ほぼ一週間ぶりで、企画課に出勤した。研修所は本社とは別の場所で、朝から夕方までプログラムがぎゅう詰めであり、こちらには顔を出す余裕もないくらいだったのである。忙しかったおかげで、リナとの後半重くなってしまった飲み会のことも、研修中は、そんなに考えなくて済んだ。
「ハジンさんの担当分は、もう折り返しのタイミングだから、そろそろ中間報告を意識して、今までのデータをまとめておいてね。」
そう、朝、ノ主任に言われたため、ハジンは、デスクのパソコンを開け、データが格納されているサーバーにアクセスした。
サンプルについて顧客モニタリングをした際の、投票結果のファイルを探した。このファイルだけ、メンバーズカードの個人情報が載っているため、サーバーに格納しておいたのである。
しかし、そこにあるべきはずのファイルがない。
ハジンは頭の中が真っ白になった。
どうしよう?
どうしてなくなってしまったの?
チルソゲ・ソンムル 第9章 に続く
(11月24日一部修正しました)
ランキングにも参加しています。
よろしくお願いします。

