サイヤ家族 近所の高齢者 | マルセイユのブログ

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サイヤ家族 近所の高齢者

拓哉が小学校の頃

1996年


(拓哉)公園行ってくるね

(美奈子)気をつけてね

(拓哉)うん

数分後


(賢二)うわぁー もう 2時か 

(美奈子)深夜3時に起きて 9時に 寝たものね

(賢二)賢一兄さんが 茨城県で 釣りするって あれ 拓哉は?

(美奈子)拓哉は 公園 恭兵は 学校

(賢二)日曜だろ

(美奈子)授業じゃなくて サッカー練習

(賢二)なるほどね


拓哉は 公園で



(拓哉)ラモス瑠偉 スーパーキック

しかし

(同級生)ゴールの 柱にぶつけることないべや



(拓哉)悪りぃ 調子狂った

同級生たちと別れて 拓哉は 公園のゴミ拾いをしていた

すると おばあちゃんが やって来て

(おばあちゃん)こんにちは

(拓哉)こんにちは 

(おばあちゃん)孫来なかったかい? 野崎 豊 昭和52年7月生まれ 小学4年だけど

(拓哉)来てないし 知らないです

(おばあちゃん)そうなのか

(拓哉)おばあちゃん 昭和52年 1977年生まれは 今年 19歳ですよ 

(おばあちゃん)あら ボケてたわ ごめんなさい 

拓哉は おばあちゃんが道路に来た時に

左右を見ず 渡ろうとした時に

トラックが

(拓哉)おばあちゃん 危ない


(トラック運転手)危ないべぇや ババァ 

(拓哉)おばあちゃん 大丈夫

(おばあちゃん)ごめんね 坊や 

(拓哉)おばあちゃん 家まで送るよ 住所は?

(おばあちゃん)宇都宮市上戸町さくら台1丁目73番地

(拓哉)そこは 僕の家なんだけど 

帰宅して


(おばあちゃん)和孝 ただいま

(賢二)拓哉、どちらのおばあちゃん?

(おばあちゃん)和孝 冷たいね 手を引くことしないんて

(賢二)誰? 和孝なんて

(拓哉)ママ、おばあちゃん 住所聞いたら ここに なっていたんだ

(美奈子)おばあちゃん お名前は?

(おばあちゃん)松下よしえです 悦子さん?

(美奈子)私は 益子美奈子です 

(おばあちゃん)あら 違うわね



(賢二)美奈子、さくら台名簿に 2丁目73番地だよ 松下和孝さんは

(美奈子)電話しましょうか?

(賢二)するよ 

賢二は おばあちゃんの家に 電話をした すると 数分後

松下さん夫妻が 来たが 

(和孝)おばあちゃん 帰るぞ

(おばあちゃん)ここ 私の家じゃないの?

(和孝)違うよ 益子さんの家 1丁目と 2丁目 間違いたんだ たく 迷惑かける ババァだな 

(おばあちゃん)なんて酷いの 

賢二と 美奈子は 唖然としていた また嫁も

(嫁・悦子)もう なんて 強情なばあさんなの もうそんな態度ならば 捨てますよ

数分後

(おばあちゃん)申し訳無いね 間違いたのね ごめんなさい

(拓哉)おばあちゃん 気をつけてね

(おばあちゃん)ありがとうね 拓哉くん 

おばあちゃんは 自宅へ 

賢二は 


(賢二)酷い夫婦だよね 松下さんご夫妻

(美奈子)感じ悪いわね

(賢二)おばあちゃん 山に行ってしまえ とか あんな事 言わないだろ 酷いな

拓哉、お前は 優しい 将来あんな 人間になるなよ

(拓哉)うん

数日後

賢二の家に


(賢二)松下のおばあちゃん

(おばあちゃん)こんにちは

話をしていた おばあちゃん 実は ボケてはいなかった

(おばあちゃん)こないだは 申し訳ありません 実は 先週 バスを降りたら 鍵がかかっていて 家に 入れなくて 公園に来たら 拓哉が居てね わざと とぼけて 孫を探したふりをして 車に はねられそうなところを拓哉に助けてもらい こちらに 来たのですよ

(賢二)そうでしたか

(美奈子)可哀想ですね 

(おばあちゃん)孫は 大学に行ってね あの子は 優しいのですが 息子たちとは 気が合わなくて 挙げ句に 嫁にも いびられて 

(賢二)酷い話ですね 

(おばあちゃん)私、横浜の長男夫婦が良かったのですが 部屋が無いらしくて 後に 藤沢市に一戸建てを購入して そちらに 引っ越すんですよ

(賢二)次男夫婦から 邪険にされるよりは もし良かったら 昼間 美奈子居ますから 遊びに来て下さい

(おばあちゃん)ありがとうございます 

(美奈子)辛かったですよね

(おばあちゃん)はい、主人は5年前に 先立たれてね 私、新潟市出身 で 新潟の親戚と暮らすほうもあったのですがね

(美奈子)おばあちゃん 新潟市出身なんですか

(賢二)実は 美奈子も 新潟市出身ですよ

(おばあちゃん)あら 新潟市のどこ?

(美奈子)本所です

(おばあちゃん)近くよ 一日市なのよ

(美奈子)本当に近くですね 

(おばあちゃん)実家は 安照寺という寺だったのよ 美奈子さんの 苗字は

(美奈子)沢海です

(おばあちゃん)沢海さん? 知っているかしら 大工さんで 沢海伝衛門さんは?

(美奈子)私の祖父ですよ 大工でした 

(おばあちゃん)偶然だわね まさか 公園で知り合った 拓哉くんのお母さんが 美奈子さんで その伝衛門さんのお孫さんだったとは 

おばあちゃんと 美奈子は 同じ 新潟市出身 親しくなり おばあちゃんは 引っ越す前に 遊びに来ていた

翌年 1997年


宇都宮駅


(おばあちゃん)ありがとう拓哉くん 元気でね

(拓哉)ありがとうございます お元気で

(おばあちゃん)賢二さんも


(賢二)いや、ありがとうございました 本当に楽しい時間でしたよ 落ち着いたら お便り お待ちしています

(おばあちゃん)ありがとう 賢二さん 拓哉くんと知り合わなかったら 私 どうなっていたか

本当にありがとうございました お世話ありがとう 

新幹線が発射し 見えなくなるまで手を降っていた

その後 

文通のやりとりをしていた 藤沢市で 長男夫婦と仲良く生活し 

2007年 おばあちゃんは 100歳で 人生の幕を下ろしたのだった

賢二は 新聞のコラムや 本を出版し ベストセラーとなった

近所の優しい祖母(はは)という タイトルだった。

「息子は 日曜になると公園でサッカーをしていた、もし 息子がその日に 公園に行かなければ 知り合うことは出来なく おばあちゃんも 救われなかった お節介だが お節介が生んだ 救い」と 記載されていた。