こちらはネタバレ有りの感想になります。
ネタバレ無しはこちらをご覧ください。

 

 

逆襲のシャアの続編として作られた本作。
12年前の逆襲のシャア当時13歳だったハサウェイと今作から登場するギギとケネスを中心として話が進んでいく。
単体でも戦闘シーンなど楽しめるだろうが、基本的には逆襲のシャアの知識が前提となる。

 

ハサウェイは今でもクェスの事を引きずっており、それを思い起こさせる自由奔放なギギに惹かれていく。ギギは洞察力に優れており、しばしば鋭い発言を発するが悪戯好きで感情のコントロールが出来ない少女である。その歯に衣着せぬ物言いや行動に彼女の面影を想起してしまいギギを遠ざけようと葛藤する様子が描かれている。
そのギギを巡って三角関係の様になるのがケネス。鋭い勘や非情な判断力、高い実務能力があり軍人としては優秀であるものの、平民上がりのケネスの生来の粗野な部分や、残虐性も時折見せる。だが普段は大佐に上り詰めるまでの間の経験で磨き上げたであろう大人としての振る舞いを基本としており、ギギにはそれが作られた薄っぺらいものとして映りつまらない男と見ているように思える。
しかしギギは最初はハサウェイへの当てつけの為にケネスに近づいた様だったが、危機にさらされる中ケネスの大人の部分を頼るような姿も見られた。そういった姿や、戦闘中の取り乱した姿から一転してコーヒーを渡して体を預ける姿、その翌朝ファッションを見せびらかすなど昨夜の事も記憶にないかのような切り替えの速さ、捉えどころのない彼女の姿はハサウェイの目にどのように映ったのか。ケネスの下に走るギギを見てハサウェイの顔が暗くなるシーンは、暗闇の中で顔に影がかかる描写で影を落とす心情の変化を表すようで好きな描写だ。

これらの人物描写は良く描かれており、事前の不安は払しょくされた。特にギギはヴィジュアルも声も良く再現出来ていたように感じた。

アクション部分も演出が特に良かったが全体的に満足のいく出来だった。
ハイジャック犯はハサウェイとケネスのたった二人に制圧されたとはいえ、正規の警備員は無傷で全滅させ、ケネスから取り上げた拳銃も放置せず確保して腰に差すなど油断のなさも見せていた。(ハリウッド映画だと横に蹴って放置して後に拾われる事がしばしばある。)

結果的にはその拳銃を奪われて撃たれる事になるが、ハサウェイとケネスがそれだけ優れていたという事だろう。
MS戦闘もメッサーとグスタフ・カールという量産機同士、それもガウマンと顔も出ない名無しのモブパイロットという一見地味になりそうな戦いですら見応えがあり、個人的に好きな2種の機体の戦いはとても楽しかった。
クスィーとペーネロペーについても2機の圧倒的な強さがそれぞれ描かれ、その上でレーンが手玉に取られるという格の違いも見せつけているし、ビームサーベルの衝突による閃光で明らかにされるまで暗闇でクスィーの姿がほとんど現れない演出も恰好いい。次回への期待も高まる。(ファンネルミサイルもカッコいいよね。とてもカッコいい)

ここまで一方の強さを表現するためにやられ役に棒立ちさせたり、無能なふるまいをさせるようなシーンが無いのも良い。

 

ハサウェイとギギが語るマフティーの思想は、アムロに「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標をもってやるからいつも過激なことしかやらない」と言われたシャアの繰り返しになっている。
クェスの幻影に悩まされるハサウェイもララァとシャアの関係をなぞっているし、レーン・エイムのハサウェイに向ける気持ちもギュネスのそれに近い。もっともギュネスの抱く恋愛感情による嫉妬とは違い、敵のパイロットを人質にしたり地上を背にしたメッサーに攻撃をしかける市民の犠牲を厭わない非情な指示を下すケネスとは信条的には相容れない関係であり、自分の腕への自信や功名心から上司に認められたい気持ちをくすぐる為にハサウェイが利用されただけなのだが。
この作品は逆襲のシャア第二幕であり、アムロとシャアの物語の最終章と言っていいだろう。UCはフル・フロンタルやネオジオン残党こそ出てくるが、話は別物だ。(NTは観ていないので分からない。)

 

総評としてはシナリオも映像も音楽もとても満足の行く出来で、気になった点は美麗な背景の前を歩く人物や3Dモデルが浮いたように見える事くらいで大した不満はない。次も必ず映画館で見たい。