家族や仲間の死は
とてもつらいものです。

だれが、



いくら統計を比較したところで
それは変わりません。

コロナだろうが、
コロナ失業による自殺であろうが。
個人には耐えらません。


しかし、
とても重要なことを書いておきます。

ただ、個人には耐えらないことが、
世の中では耐えていかなければならないことがあります。

家族や仲間の死は、0.0001%の確率で起きた事でも
100%以上の悲劇に違いないです。

それでも、世の中は、それに耐え、
何ごともなかったように、乗り越えて
蠢いていきます。

非常でもあるが、それが強さでもあるのです。

そんな社会だからこそ、守れるものがたくさんあるのです。

だから、個人的に
どんなにつらい時でも
社会は、世の中は、冷静で
論理的である必要があるのです


どんな時でも
非常にも、統計的な、ものさしを持っていなければならないのです。


コロナは
平均寿命を超えた
高齢者が亡くなっています。


私の家族なら
耐えられない事ですが、

高齢者は、お風呂のヒートショックと




食事における窒息死で
年間四万人亡くなります。


だから、
コロナで高齢者が、8000人亡くなっても



社会は何ごともなかったように
非常にも冷静でなければならないのです。

そうでなければ
守れない命が何十倍もあるのです。

高齢者のヒートショック死は、
お風呂をやめて、身体を拭いてあげる
ことで年間2万人 救えます。

食事における窒息死は
流動食にすれば、年間2万人
救えます。

しかし、
やらないでしょう。

それに比べて、この一年間
緊急事態宣言や時短、休業要請

勤労世代、若者ばかりが
我慢を強要され

自殺が増加しているのです。