しかし現実的に、F50を見るチャンスに恵まれたとしても、じっくりビデオのように30分もF50が走るその美しい姿を静かに見られるチャンスは、そうそうないでしょう。
例えると、地下鉄の隣の座席にエビちゃん姉妹、前の座席には、浅田姉妹だったくらいの低い確率でしょう。(^^)
今回のツーリングは20分くらい、ワインディングロードを走ったのですが、偶然の偶然にも帰りの下りは、ごじゅうサマでした。(^^)(^^)
ついに、静かなワインディングロードで、じっくり、じっくりF50をアダルトビデオのナイスなシーンを繰り返し、こま送りして見るようにF50のその強烈な姿をとらえました。
ごじゅう様のF50の快音にボクは、身震いがとまらず、感動のあまり(涙)が溢れました。
山をつき抜ける、怒涛のフェラーリ F1 643 まんま、F1サウンドは、情熱のフェラーリの魂の音色です。
どうしても、どうやっても勝てなかったイタリア人ばかりのエンッオフェラーリのチームの面影の残る、真っ赤なフェラーリの情熱のサウンド♪
イタリア人の魂の叫びです。
これ以上フェラーリらしい魂を揺さぶる哀愁のサウンドはありません。
ボクは寝るが寝るまで、このサウンドと美しいF50の姿が頭から離れませんでした。
そして、徳大寺有恒の名言を思いだしました。
フェラーリのF50のような自動車は、男が全ての山を登り、まだそれでも登り足らないと思う、極て少ない限れた男だけの為にある、とっておきの最後の山なのだと。