71年ボリビアがバンデル新政府となり、ランボルギーニ社と契約していた5000台のトラクターをキャンセル。
ランボルギーニグループは深刻な資金難に直面し、自動車部門の株51%をスイスの投資家に売却。
74年には残りの49%もこの投資家の友人に明け渡す。
ウラッコとカウンタックで、月産1000台という とんでもないもくろみは闇に消えた。
78年 倒産
その後 21ヶ月もイタリアの政府管理下におかれたランボルギーニ
たった250万ドルで購入した フランスのパトリック・ミムランはカウンタックをLP500S
5000クアトロバルボーレ そしてアニバーサリーを作らせた。
89年にはクライスラーの手にわたり、93年にはインドネシアに渡る。
フェラーリへの愛は、ENZOとスクーデリアに捧げる。
ランボルギーニへの愛は、、、
優れた技術者達が、栄光の裏側で諦めずに作り続けた情熱★にではないだろうか。