700万の頭金を用意するのに3年はかかる。
ボクには3年待つなんて我慢できない。
どんどん清水草一に遅れをとってしまう。(~_~)
そんな時、
ボクにチャンスが訪れた。
外資系の商社の営業の仕事の募集に採用されたのだ。
完全歩合の営業職
完全歩合ってのは、つまり生きるか死ぬか!
まさにギャンブルのような仕事だ。
ボクは無我夢中で毎日営業活動をした。
誰よりも朝早く、誰よりも遅くまで。
成績をグラフにして競わせるホストクラブのようなやり方だった。
ボクは絶対に負けられないと思った。
負ける事はフェラーリに対するボクの気持ちが負ける事のように思えた。
フェラーリの情熱で頑張れたボクはグラフの1番高い位置の常連になった。(^^)
外資系商社からは人一倍頑張っただけのご褒美を、きちんと頂けました。
それは、1年でフェラーリが買えるほどでした。(^○^)
ご褒美でフェラーリはどのタイプにする?
あれから半年で、いよいよ迷える立場になったのです。
この頃の時代は355の並行輸入の原価が、一千万!!
友人から、あおられて355のチャレンジを買うハメになる所だったが、エアコンはないし、サイドブレーキをつけたり普通に乗るのに改良するのは手間もかかるって事で、ボクは嫌だった。
いろいろあって、結果は赤の348にした。
名古屋の有名な方のコーンズからでたワンオーナ車を安く譲っていただける話があったのだ。
(^.^)
1ドル80円台のこの時代は新車の並行355が一千万!
ちなみに130円なら1500万になってしまい並行のメリットはゼロ
コーンズから新車ででた348は1800万
コーンズから出たフェラーリがお買得に感じました。
この348は4000kmくらい走ってましたが、並行でマラネロからイギリスのカロを経由して渡ってくる新車の状態より、はるかにキレイでした。コーンズが塗装を完璧にやったんでしょうね。
348を手にしたボクは清水草一の後追いでキダスペを装着(^^)
荒井板金さん企画の愛知産マフラーのほうが、イイゾ♪
と友人にクドイほど言われていたが、いろいろあって、木田さんから安く直接製作してもらいました。
ボクはキダさんが好きなので11年間浮気せずにいます。
初めてのフェラーリは大切過ぎてホントにたまにしか乗りませんでした。
当事フェラーリのお知りあいの方はほんの少しだけいましたが、この当時20代前半の若さでフェラーリに乗っている方は、超超VIPセレブの方ばかりでしょせん庶民のボクとは次元が違っていました。
この頃、フェラーリの集まる場所に乗って行っても心の底から笑える心地良い空間はボクにはありませんでした。
しょせんボクだけ庶民、、、
今思えば、ボクのヒガミだけだったんでしょう。
若かれし頃の心の未熟さを今になって反省しています。
あまり詳しく書くと関係者の方に迷惑がかかるので、控えますが、それから現在に至るまで数台のフェラーリを趣味として、買ったり売ったり、壊したり直したりしました。
PS アナログ写真時代(10年前)を振り返る投稿はこれで最後にします。