【ゴミ拾いは爆発だ!〜まだ見ぬゴミを求めて〜】


最近自分の周りでよく囁かれるフレーズに『ゴミ、ヤってる?』がある。いわゆるゴミ拾いなのだがこんな面白い趣味ないっすよ。


今日拾ったカタツムリとセミの抜け殻さん


一番最初に『ゴミ』始めたのは小学高学年の頃。当時広島は片田舎の社宅に住んでたんだけど、子供達のあいだで『ビックリマンシール』が大流行してたわけ。ちなみに『ビックリマンシール』とは、30円くらいで買えるロッテのお菓子についてるキラキラしたシールのことで、当時おまけ付きお菓子として日本最大級のヒットを巻き起こしたんだが、シール欲しさに大量購入した子供達が、本来メインとなるはずのウエハースチョコを食べずに捨ててしまうという現象が多発したことで社会問題にも発展していた。

幸い私はシールよりお菓子の方が断然好きだったモンで、社宅のアチコチにアッサリ破棄されたビックリマンチョコを拾ってはウホウホ口に入れてたモンです。母親からよく「拾い食いするな」と言われてたけど、なんで注意されてるのか意味がよく分からんかった(今は分かりますっ)。

同時に自宅で誰がどんなゴミを捨ててるのか興味があったモンでゴミ箱漁りもしてたんだけど、ある一定の周期で両親の部屋のゴミ箱から、クシャクシャに丸められたティッシュ(俗にいう拭き紙)と共に、なんか白い液体の入ったピンク色のひょうたんみたいなビロビロが出てくることに気付く。更に見たこともない長方形のパッケージに『うすうす』と書かれた謎の小袋がでてきたりして一体コレはなんぞやと。しかし両親に真実を聞いてはいけないなと子供ながら直感的に感じたモンです。


そして1990年代後半。鬼畜系ライター・村崎百郎さんとの出会いもあり『ダストハンティング』を再開。百郎さんは本来なら夢の島にGO TOするであろう、他人に絶対見られたくないゴミ袋を漁っては、その背景に存在するゴミ物語を雑誌に連載するような鬼畜ぶりだったが、実際お話してみるとファンを大切にされる愛情深い方だった。ゴミは個人情報テンコモリで、東京女子一人暮らしで、ゴミをシュレッダー等かけずそのまま廃棄することの危険さ(公共料金の請求書や給与明細、下着や衣類をそのまま捨てるなど)。また当時東高円寺に住んでいた私は月収8万以下で、銭湯通いに食事は駄菓子暮らし@いわゆる貧乏だったんで、ゴミの中にはまだまだ使えるモノもあるしで(ノート、ボールペン、メガネ、漫画、マグカップ、豆電球、財布、たまに小銭など)拾っては再利用していた。


しかし今から考えると私自身に、他人の捨てたゴミを見てみたいという非日常的な欲望が強く存在していたのかもしれない。ゴミを捨てればその瞬間からそれは単なるゴミだが、拾う側がゴミにいかに付加価値をつけるか。ゴミを捨てる側と拾う側はあくまで対等で、そこには優劣や正しい正しくないなどもないかなという価値観だった。


話は冒頭に戻り、様々な経験を経て今は純粋にゴミ拾いを楽しんでいるわけでして(たぶん)。えーと、まずゴミ拾いに必要なものは、ゴミ袋(燃える、燃えない)、軍手、スニーカー、ゴミ拾いマインドです。

ゴミを拾っていて一番多いのが、空き缶空き瓶、ペットボトル、タバコの吸い殻。コンビニの弁当やパンの空き袋、レジ袋、レシート、安物の傘、使用後の乾電池、アイスの棒、噛んだ後のガム、最近ではマスクや除菌シートなど。


健康ドリンクを飲む人さんは、タウリンビタミンカフェイン等こぞって摂取し、疲労回復に滋養強壮しているはずなのに、なぜ空き瓶をゴミ箱へ捨てる元気がないのか。自身の美容やファッションには興味があっても、自らが住んでる星の美容には興味がないものか。


棒アイスの木製スティックもよく拾うけれど、いずれも『はずれ棒』ばかり。何故皆『当たり棒』を捨てないのか。自分がもしゴミを捨てる側だったら、そんな普通なゴミなぞ捨てぬ。捨てるのなら『はずれ棒』ではなく『当たり棒』を。ゴミ捨てるならソレくらいの夢を与えておくれよ。


タバコなども素敵なパッケージのものが多いのに、空箱をクシャッと丸まって乾涸びたものなどは簡単に単なるゴミと化すし、最近のしけもくはこぞって長さが短くなった。タバコの価格上昇&禁煙ブームや電子タバコの普及によりシケモクゴミじたいも少なくなったし、最近は『ショートピース』『手巻きタバコ』など両切り煙草が目立つ。90年代後半の歌舞伎町では、一服か二服で遊ばれた長めのパーラメントのしけもくを拾っては悦に浸っていたものだ。

昔シケモクでクリスマスツリーを作ろうとしたが、部屋中がヤニ臭くなったため断念。今年はチャレンジしたい。ちな鶴太郎の歳の重ね方好き。

クスリゴミはお宝。


時はたち文明は進化したけれど、ゴミ箱やゴミ袋は一向に進化しないなぁ。もっと皆がゴミを捨てる際ときめきを感じるデザインの良いものにしたら如何なものか、とふと思う。空き缶をゴミ箱に一缶捨てるごとに、梅図かずおが「ぐわし」とシャウトするとか、ゴミ袋のデザインもグッチやシャネル柄にするとか、草間弥生オリジナル清掃グッズをユニクロで販売するとか。


など『ゴミ』始めた当初は、上記のごたるブウブウ愚痴たれるが、次第に『こんなゴミがあるのかっ!』『なるほどコレが今流行りの食いもんか』とゴミから情報を得ては感激したり、この角度から攻めると腰に負担がかからずゴミ拾えるなぁとか『気づきと発見』のオンパレードになり、更にその先に行くとゴミがなんだか清らかな存在にしか見えなくなってきて、『ゴミって他の惑星から見たら宝石なんじゃないか』と思えるほど愛おしくなり『ゴミ様、ゴミ様』になり感謝がやって来て、そしてその先はただただ『無心』。たまにゾーン入る(←今ココ)。まだまだ精進のみ。


ちなみに今日のゴミ拾い

写真撮りながらなので動機は不純だが、近くの池まで散歩がてら拾いました。

テクテク歩きます。

歩いてすぐの池。

鹿が横たわってるみたいなカタチの木の根。

マイサンクチュアリ。

今年初の蝉の抜け殻さん

タバコの空き箱と何故か歯間ブラシ

カタツムリの抜け殻さん。


拾っ道中のゴミたち。

雨が降ってきたので今日はコレだけ。

懐かしいジュースに出会えて嬉しかったす。カタツムリの殻はピカピカに洗って飾りました。

透明感🍥✨  


『徳をつむため』ゴミ拾いしてる人もいれば、純粋に地球さんへの感謝のためゴミ拾いしている人もいたり。自分の場合は動機が不純かもしれんが人さんが道端に捨てたゴミに興味があり、未知なる旅に出る感覚で『ゴミ』拾っとります。それにしても私の友人はゴミ拾っても一万円札は拾わない。