義母のナーシングホームへの入居日が

確定した、2週間後


入居の際は、お手伝いのため

Emortional support も含めて

イギリスに帰るつもりでいたポリス





取り置きしていたポリスの航空券の

日程を変更しようと

ポリスが義母に電話するも


本当に航空券まで取ったの?

と驚き

気持ちは嬉しいけれど、

きっと私は、ムードも悪く

ハッピーじゃないから

落ち着いた頃に遊びにきてと


お断りを受けてしまった



ハッピーじゃないからという言葉が

胸に突き刺さる


できれば、そのまま義兄夫婦と

住みなれた家にいたいことが

胸に突き刺さって

勝手に苦しむ



代わりにクリスマスは長期で

義母が寂しい思いをしないように

ゆっくりイギリスに行こうと

決めた数時間後には

義兄から、母が何故イギリス行きをキャンセルしろと

言ったのか不明だ

僕だけでこの大きな家の引っ越しをしろと

連絡がきて。。。。




義兄も68歳ですからねぇ

ポリスをあてにしていたよう


他に兄弟2人は

イギリス国内にいるのに。。。





それに追い打ちをかけるように、

数ヶ月、連絡を絶っていた私の妹から

母の近況報告が入るようになった

(SOSのメールがきた)




母は76歳。世の中の76歳は

まだ仕事をしている人もいる中

母は比較的早くから痴呆が始まった



パパちゃん亡き後、5年

1人で実家にいるが

家事もしなくなり

宅配のお弁当を

デイサービスはサボりがちで

家に籠りがち

マンションのすぐ下に住む妹が

毎日様子を見がてら

サポートをしている



私が電話すると、

同じ話を繰り返すが

まともを装う



隣の敷地には、

母の妹(独身)もいて

この叔母も痴呆が始まり

この2人のダブル介護になっている



2人ともヘルパーさんの介入を嫌がり

よく言えば、痴呆の初期中期の

段階なので、逆に大変な時期



海外にいる私は、

全くもって戦力外


定期的に母にビデオ電話するのが

唯一の役目



叔母は、

施設に行くしか選択肢はない




私の母と妹の性格は正反対

私は、母によく似てる

いつも妹の考えや意見に

私と母は?となる





近い将来、妹の手に負えなくなり

施設へという話になることが予想される



そんなとき、私はどうする


自分で自分のことができなくなれば

施設に行くのは当然


と思う反面


母が施設に行く事を

想像するだけで動悸がする




やはり私が日本に帰国して

母の介護をしなければという

強い感情が心に沸く


反面、


日本での仕事や住居、

ポリスの多発性硬化症の治療や

息子のこと


不安要素も大きく

一気に頭で考えたことが

胸の中で爆発して

激しい動悸に襲われた



こんなとき、私の性格は

とても便利で

わーっと大泣きができる




隣でTVは見ていたポリスは、

驚きふためき、何事かと

しどろもどろ



事情を話すと

できた夫はやはりレベルが違う


プラス日本移住大賛成なポリスは、

1つ1つ私の不安要素を

解き放した



国を超えて生活の基盤を変えることは

本当に大変なことだが、

その大変さを超えて

母の為に介護帰国するか否か



定年後は、

日本への本帰国を決めているので

時期が早まるだけと

いざ、オーストラリアを離れるとなると

本当にそれでいいのか



一番は、日本での収入源

当然、ポリスの収入は頼りにできなくなる


ならば、基盤は定年まで

オーストラリアにおき

私の仕事はオンラインでできる部署に

移動をお願いし、

数ヶ月単位で日本とパースを

行き来して母たちの介護をサポートするか



施設に行って!だけでは

私の感情は納得しないようだ



みんなはどうしてるんだろう、と思う