みなさんはお元気ですか?
父が旅立ち5日が過ぎました。私たち家族はすっかり日常に戻っています。
パパちゃんの癌がわかって6ケ月。最初から癌無治療、一切の延命処置を初めから拒否したパパちゃん、入院は、絶対にしない、最後まで自宅で過ごすがパパちゃんの絶対権限でした。
亡くなる2ケ月前から、妹ちゃんがパパちゃんのご飯を用意する様になりました。1月は2週間、3月は1ケ月パースへ来ました。10日前は飛行機で函館へ5泊、1週間前は横浜へ1泊、最後まで好きな旅行を楽しみました。
亡くなる2、3日前からお洗濯や掃除ができなくなり、私がする様になりました。亡くなる前日からは、起き上がるのに手が必要になりましたが、トイレや食事、シャワーには自分で立って歩いていました。
このまま亡くなるという感覚は全くありませんでした。インフルエンザで長く病気をしているだけで、これから回復するという様な感覚でした。
栄養補給の点滴をすれば、長く生きれるのか、病院に行けば寿命が伸びるのではないかとも思いました。いくら勧めてもパパちゃんの気持ちは絶対に変わりませんでした。
パパちゃんは弱い犬猫をとても可愛がりました。うちに来るのは決まって捨て猫でメスでした。公園で妹と弟が拾ってきて、ママちゃんは雨が止んだら捨ててきなさい、というのを制止するのはパパちゃんでした。
そのうちの1匹の猫のナナちゃんは20年生きました。最後は、食べなくなり、飲めなくなり、それでも身体を動かそうとし、最後はパパちゃんの枕元で亡くなりました。だから、パパちゃんもナナの様に死ぬと、癌無治療を貫き通しました。人間は、動けなくなったら、食べれなくなったらおしまい、それをナナが教えてくれたと。
お水を欲しがり、飲んだあと「ありがとう」と言いました。この言葉が最後の言葉になりました。
旅立ちの間際、少し大きく息をすると、パパちゃんの身体の動きが少しずつ止まって行きました。それは、とても自然でした。息がとだえる瞬間はもっと苦しむのではないか、と心配していましたが、パパちゃんは苦しんでいませんでした。
少しずつ、体温がなくなっていきました。私は、一切泣きませんでした。最後まで、なんとかしなければ、安心させてあげよう、大丈夫だよと伝え続けました。
パパちゃんはとても立派でした。パパちゃんの死に際を見て「死」とは、恐怖や苦しみではなくとても穏やかで自然だということを学びました。
自分の身体をもって教えてくれるなんて、さすがですね。最後まで、男として、父親として、武道家として威厳ある旅立ちでした。
家族で過ごしたこの1ケ月は、かけがえのない時間となりました。喧嘩もしたし、いつも言いたいことを言い合って、それでも誰よりも愛し愛されて、家族みんなで寄り添い旅立ちを見送れたことは本当に幸せでした。
病院のベットで1人寂しく旅立つなんて、悲しすぎます。自宅にいると言い張ってくれたパパちゃんに感謝です。
しばらく日本で仕事をして、粉骨・分骨されたパパちゃんの一部と一緒にオーストラリアに帰ります。
パパちゃんの大部分は、故郷の海にいつか散骨します。それもパパちゃんの希望です。