私が産まれる前の年、昔から英語のできたパパちゃんは、ママちゃんと結婚してカナダに移住をしようとしてました。カナダに行くぞ乾杯〜もしたそうです。
ところが、妊娠が発覚、私ができたことで、パパちゃんはカナダに移住することをやめました。その理由を聞いたことがあります。「子供ができて怯んだ」と言っていました。
何故なのか理由はわからないのですが、物心ついた頃から、私の中には海外に対する強い憧れがありました。最終的に、私やお孫ちゃんが海外に根付いた時にはとても喜んでくれました。
ママちゃんは、パパちゃんがやりたかったことを娘が叶えてくれたと
私の住むパースには通算で13回来ました。
オーストラリアの高校から、アメリカの大学にいくお孫ちゃんをそれは嬉しそうに目を細め、俺の夢が三代で叶ったと言っていました。
私たち家族の姓は少し変わった名前です。小学校の頃は、嫌なあだ名をつけられました。それでもいつか、パパちゃんから受け継いだ姓にプライドを持つようになり、結婚する時には私の息子の父親に私たちの姓になってもらいました。
パパちゃんは、姓などこだわる必要はないと言いました。それでも、俺の姓が後世に繋がるのか、と感慨深げで、今思えば、私の息子は、未来にパパちゃんの姓をつなげる唯一の存在になりました。
お前は、俺の飽きっぽいところと、金遣いの荒いところがそっくりだと。でも、心優しく育ったのは俺のお陰だと。
日本全国バイクで走り回り、50回以上海外にいき、嫌なことがあればすぐ怒り、人の3倍は人生を楽しみました。女房子供をどれだけ泣かせたでしょう。
最後は、家族みんなに看取られ71歳の生涯を終えました。悲しくはありません、寂しいです。
でも、私の身体にはたくさんパパちゃんの血が流れているので、パパちゃんはいつも私の中にいます。
パパちゃんが、
痛みから解放されて今はホッとしています。
みなさんには、たくさん色々なことを教えていただき、応援していただき、励ましていただきありがとうございました。