河野太郎防衛大臣が ツイッターに「クラスター 集団感染 オーバーシュート 感染爆発 ロックダウン 都市封鎖 ではダメなのか。なんでカタカナ?」と投稿 したという記事を読んで、まさしくその通り!と思った。言葉はその国の文化の土台となるもので、他国に征服されて宗主国の言語を強制されているわけでもないのに自らそのように振舞っていることは、愚かというほかない。

 

 

ここ20年ぐらいで、日本語にもある言葉にもかかわらず訳さずに英語をカタカナで使う、ということがだいぶ増えたように思う。ゲットやらテンションやらソールドアウトやら。

 

これらはマスコミの連中が使い始めて、テレビや雑誌で広めていくことがほとんどだと感じる。「英語の方が日本語よりカッコイイ」みたいな雰囲気を作っている元凶だ。

 

ちょっと語学留学してきた、という連中もカタカナ英語を使いがちだ。本当に英語を身に着けている人は、そういうことはせずに、日本語を話すときは日本語で、そして英語のときは英語で話し、カタカナ英語はほとんど使わない。

 

政治家や各分野の評論家と言われる連中にも、カタカナ英語交じり話す人が多い。そういえば、昔、「リスポンシビリティ―をシェアすべき」と発言していた政治家(後の総理大臣)がいたなぁ。カタカナ英語を交えて話すと頭がよく聞こえる、と思っているのかもしれないが、実際は真逆。本当に頭の良い人は日本語に訳して話す。どうしても日本語にできない場合や、何十年と使われてきて日本語に馴染んでいる単語は使うが、それ以外は極力日本語を使っている。

 

それに、強姦をレイプと言ったりして、カタカナにしたら言葉を和らげる効果がある」というのも浅はかな考えだ。