本日のインタビューは、メルボルンの売れっ子ドラマー、「ウルフィー」ことBrett Wolfie(ブレット・ウルフィー)だ。かつて、You Am I (ユー・アム・アイ)のDave Lane(デイヴィー・レイン)と一緒に、The Pictures(ザ・ピクチャーズ)というバンドを組んで活躍していたし、現在でもデイヴィーのバックでドラムを叩いている。その他、Wesley Fuller(ウェズリー・フラー)やBen Mason(ベン・メイソン)といった才能のあるアーティストから引っ張りだこの腕利きドラマーだ。デイヴィー、Ashley Naylor(アシュリー・ネイラー)との3人で組んでいる、Thee Marshmallow Overcoat(ジー・マシュマロ・オーヴァーコート)という、60年代の曲をカヴァーするバンドのライヴも人気がある。
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写真1:筆者とウルフィー
こんにちは、ウルフィー。今日はどうもありがとう。
ウルフィー(以下Wと略す):こちらこそよろしく。
まず、音楽との出会いを教えてよ。
W: 音楽を聴き始めたのは八才の時に、母方の叔母にThe Beatles(ザ・ビートルズ)を聴かせてもらってからだね。それから、十才までには、The Who(ザ・フー)、The Kinks(ザ・キンクス)、The Small Faces(スモール・フェイセズ)などいわゆるブリティッシュ・インヴェイジョン全般を聴いていた。その頃は、ブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドばかり聴いていたね。
僕もそうだったよ!
W: 俺は1978年生まれなんだけど、10代の頃は、同級生たちで俺の好きなそういった60年代のバンドを聴くっていう奴等はほとんどいなかったね。
じゃ、周りはどんな音楽を聴いていたの?Osasis(オエイシス)やBlur(ブラー)なんか?
W: いや、そうでもなかった。オーストラリアでは、90年代のBrit Pop(ブリット・ポップ)はそんなに流行らなかった。だから、、、まあ今でもそうだけど、彼等はラジオでかかるヒットチャートのゴミみたいな曲を聴いていた。
ふ~ん。
W: 1990年代半ばは、「音楽好きならバンドを組む」っていう図式が、あまり一般的じゃなくなっていた。だから、自分と同じ音楽の趣味の友人が出来るまではだいぶ時間がかかったね。で、そういう友人たちは、みんな俺より年上だった。
それはよく分かるよ。僕もそうだったから。
W: そんな中、1990年代の終わりに、Dave Lane(デイヴィー・レイン)に出会ったんだ。
それって、デイヴィーがYou Am I (ユー・アム・アイ)に加入する前?
W: いや~、それがまたおもしろいんだよ!
聞きたいなー!
W: オーケー、じゃあ順序立てて話すよ。ザ・フーにハマっていた俺は、高校卒業してすぐのころ、「ザ・フーのカヴァーバンドのメンバー募集」っていう広告を出したんだ。当時は自分のバンドを組むってことは全然考えてなくて、とにかくザ・フーを曲を演奏したかった。
それで、集まった奴等と一回きりのライヴをやったら、結構良い反応があったんだ。君みたいに60年代のバンドが好きな人達の間で評判になってね。
それは、君と同年代の人達?
W: そうでもなかったよ。7~8才年上だったんじゃないかな。俺が18だから、彼等はだいたい25ぐらい。そして、その中の一人にバンドに誘われて参加した。で、そのバンドで知り合った人の友人が、偶然デイヴィーのことも知っていたんだ。それで、ある日デイヴィーが俺達のライヴに来たんだけど、俺はデイヴィーのことは何も知らなかった。だって、1999年の初めで、彼もユー・アム・アイに加入したてのころだから、メディアへの露出が無かったからね。
「ユー・アム・アイに新ギタリストが加入」、っていうのは音楽誌とかには取り上げられていなかったの?
W: なかったと思うよ。デイヴィーは素人からいきなりメンバーに抜擢されたから、そんなに大きなニュースとは思われなかったんだろうね。
話を戻すと、俺達のライヴをデイヴィーが観に来たんだ。あの頃の俺のドラムスタイルはKeith Moon(キース・ムーン)にすごく影響を受けていて、ライヴを観ていたデイヴィーにもそれがすぐ分かったんじゃないかな。それで、ライヴ後にザ・フーについて話をしたんだよ。その話というのは、曲やアルバムのことだけじゃなくて、まぁ、マニアックな内容だった。で、年も近い(ウルフィー21才、デイヴィー19才)俺達は意気投合して、デイヴィーが俺に電話番号を聞いてきたから、渡したんだ。でも、あの時、彼は自分がユー・アム・アイのメンバーだということは一言も言わなかったんだよ。
写真2:敬愛するキース・ムーンばりに叩きまくるウルフィー
それで?
W: あの時は、初めて同年代で同じ音楽の趣味のやつと会えて嬉しく思った。デイヴィーも同じだったと思う。数日後、電話があって話していると、「実は、俺、ユー・アム・アイのメンバーなんだ。」と言うから、「ウソつけっ!」ってなった。けど、ある日また電話がかかってきて、「ちょっとテレビつけてみて」って言うからつけた。そしたら、The 10:30Slot(ザ・テン・サーティー・スロット)という番組で、ユー・アム・アイが紹介されて、そこにデイヴィーがギタリストと出演していたから、やっと信用したということなんだ(笑)。
今なら笑えるエピソードだね。
W: うん。当時は今ほどネット社会じゃなく、情報が伝わるのもすぐってわけじゃなかった。
ユー・アム・アイのことは知ってたでしょ?
W: もちろん!1996年にはコンサートにも行っていたよ。彼等の「#4 Record」というアルバムはお気に入りだった。
オーストラリアでインターネットが普及したのはいつ頃だったの?
W: 2002年前後だったと思う。それ以前は、大学などにはあったけど、一般家庭にはまだ普及していなかった。
それから、The Pictures(ザ・ピクチャーズ)を結成するわけだね。
W: そうだ。デイヴィーが「バンドやろうぜ!」っていうから始めたんだ。高校時代からの親友のLee(リー)がベースでね。でもリーは元々ギタリストだったから、純粋なベーシストではなかった。
その結成は2000年頃?
W: 1999年後半。俺は大学生だった。レコーディングスタジオを持っている、Simon(サイモン)という人物と知り合って、彼が俺達のマネージャーになってくれたんだ。そして、彼を通じてEven(イーヴン)のAshley(アシュリー・ネイラー)との接点ができた。アシュとサイモンはバンドを組んでいたことがあったからね。イーヴンの恒例イベント、Xmas Even(クリスマス・イーヴン)でサポートしたのを覚えているよ。ライヴを録画したビデオをまだ持ってる。リーは、結局一年半ほどバンドにいたね。
リーが抜けた後、すぐLuke Thomas (ルーク・トーマス:現Central Rain (セントラル・レイン)が加入したの?
W: いやー、それが多くのベーシストをオーディションしたんだけど、なかなか決まらなかったんだ。でも、ルークがオーディションに来てくれて、ラッキーだったよ。彼は、まさしく俺らが求めていたプレイができるベーシストだったからね。
また、当時二十歳かそこらだったデイヴィーのソングライティングには才能が見えたね。まだ今のように洗練されてはなかったけど、あの若さであれだけ書けるというのは大したもんだとずっと思っていた。
ところで、ザ・ピクチャーズのアルバムでは叩いているの?
W: その後、俺は2004年に脱退したんだ。だから、アルバムでは叩いていない。アルバム前に出したEPや、アルバム収録曲のデモでは叩いたけどね。
お~。そのデモ聴いてみたいな!
【ザ・ピクチャーズのGround Control(グラウンド・コントロール)という曲のプロモビデオはこちらをクリック】
ーーーーー「其の弐」につづくーーーーー
デイヴィー・レインのファーストアルバム
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