本日は、オーストラリアの太鼓グループ「和太鼓りんどう」を率いる坂本敏範さんのインタビューをお送りします。【インタビューは一月十日に行われた】
写真1:私が教える学校の「日本文化の日」での一枚(五年前)。
左から:坂本さん、筆者、、津軽三味線の只野徳子(ノリコ)さん。
【まず、2015年の演奏を視聴してみよう!こちらをクリック】
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坂本さん、今日はお忙しい中ありがとうございます。
坂本(以下、Sと略す):いえいえ、年初めでまだ始動していないので大丈夫ですよ。
まず、出身地から教えて下さい。
S: 熊本県熊本市です。
オーストラリアに来られたのはいつですか?
S: 1995年、36才の時です。日本語アシスタント教師として来豪しました。3月から12月までの9ヶ月間、Geelong(ジロング)という町でアシスタント教師をしていました。
その期間のビザは、「スペシャルビザ」ですか?
S: はい、416のスペシャルビザでした。
その時は、まだ独身だったたんでしょうか?
S: そうです。
その後は?
S: 契約期間の終わりの95年12月に一時帰国したんですけど、スペシャルビザを延長してまたすぐ1996年の3月に戻ってきました。二年目からは、アシスタントとそのアシスタントを派遣する機関でアルバイトをしながら、太鼓教室を始めました。二足のわらじですね。
そうですか。
S: 一年で帰る予定だったんですけど、一年目の終わりにその派遣期間のほうから、「アルバイトをしないか?」と誘いがあったんです。それに「太鼓のほうもウチがサポートしてあげる」とのことでしたので、二年目はそういう形になりました。
太鼓はいつ頃始めたんですか?
S: 26才の時に熊本で始めました。東京で仕事をしてたんですけど、26才で実家のある熊本に戻って、そこで地元の祭りに参加したんです。それがきっかけです。
オーストラリアで太鼓の活動を始めた時は、既に仲間がいたんですか?
S: 1996年に太鼓教室を始めた時は、私一人でしたね。1997年に演奏で学校を周ったりし始めた時は、家内の順子と二人でした。
写真2:奥様の順子さんと二人での写真(Yusuke Sato氏の撮影)
それから、和太鼓グループの結成はどのように?
S: チームですね。チーム結成は1997年でした。【坂本さんが「チーム」と呼ぶので、次からは私もそうした】
当時既に「りんどう」という名前だったんですか?
S: いえ、当時はJAPEPといって、そのアシスタント教師派遣をしている機関の名前での活動でした。
では、現在のチーム名「和太鼓りんどう」としたのはいつですか?
S: 1999年だったと思います。
チームを立ち上げてやっていく上で、ご苦労されたと思いますが。
S: 最初の頃は手探りの状態でしたし、、、、、例えば、大勢での公演依頼があったとしてもこちらは三人しかいなかったわけで、、、ですから、自分たちでやれるだけのことをやってましたね、最初は。
現在は、ヴィクトリア州だけでなく、オーストラリア各地の学校を周っていると思いますが、だいたい年間にどのぐらい他の州にいっているかんじですか?
S: 6~7週間です。西オーストラリア州、南オーストラリア州、クイーンズランド州を主に周っています。
それは、他州での公演は集中させているんですね。
S: そうですね。エージェントが日程を組んで他州の各学校に告知しますから、それを見た学校から依頼があるという形でやっています。
ヴィクトリア州は一番日本語教育が盛んですけど、やっぱり忙しいですか?
S: ピークの時は、一ヶ月でほとんど休みが無いぐらい学校から依頼が来てましたけど、最近は落ち着きましたね。その代り、各地のイベントなどといった学校以外での公演依頼がすごく増えています。
フェスティバルなどですね。
S: はい。昔は「太鼓」という言葉も浸透してなかったですが、もう最近は「ジャパニーズ・ドラム」「タイコ・ドラム」として認知されてきましたね。日本からプロの太鼓チームが何回も公演しに来てますし、それもあって太鼓の知名度が上がって、日本とは全然関係のないイベントの興業主からの依頼も多くなりました。
それはここ数年のことですか?
S: そうです。ここ2~3年顕著になってきました。フットボールの試合とかね。
えっ、フットボールで?
S: そう!AFLです。【筆者補足:AFLとはオーストラリアン・フットボール・リーグの略。オーストラリアで一番人気のプロスポーツ】
Richmond Tigers(リッチモンド・タイガース)のホームゲームが開催される時には、試合前にドーンと演奏してます。もう四年連続でやってますよ。
それは毎試合ですか?
S: そう、毎回です。一年に12試合ぐらいホームゲームがありますけど、毎回やってます。
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それは、良いプロモーションになりますね!
S: そうなんですよ。いつもテレビ中継されますから、学校へ演奏しに行った時など、「テレビで見たことある!」なんてよく言われますよ。
【このビデオの3分45秒から数秒間、AFLの試合前に演奏するところがあるのでこちらをクリック】
AFLと言えば、私の教え子が四人プロになってますよ。四人とも現役です。
S: へ~っ!そうなんですか。それはすごいですね!
私は別にひいきチームはありませんけど、教え子たちがプレーしている試合が放送されていると、やっぱりそのチームを応援したくなります。
話は変わって、練習というのは週に何回ぐらいですか?
S: 太鼓教室は週に四日ですね。月、火、木が午後5時半から3クラスずつ、土曜日が午前中から4クラスです。初級、中級、上級に分けてやってます。公演がある場合には、上級クラスから私が選抜して連れて行きます。
なるほど。
S: この前、40人で叩くっていうのをやったんですよ。RMIT(メルボルン工科大学)の卒業式典でのことでした。この時はさすがに上級者だけでは足りなかったので、中級者も参加させました。
それと、火曜日には、午後4時45分から子供クラスもやってます。
子供クラスには何人ぐらい?
S: 今は10人ほどですね。白人もいればアジア人もいます。子供クラスは家内が教えています。
坂本さんのお子さんも太鼓をしてらっしゃるんでしょうか?
S: はい、やってます。長男は今年から高校生で、2~3年前から大人のクラスに入ってます。下の子は、今四年生ですけど、小一から初めて頑張っています。
日本で公演をしたことは?
S: ありますよ。3~4年前でしたか。私の地元熊本の日豪協会の四十周年記念イベントで招待されたんです。熊本城に舞台を設置してもらって、城をバックに演奏しました。それと動物園でもやりました。
地元の報道機関でも紹介されたわけですか?
S: そうですね。オーストラリアにも太鼓チームがあるということを宣伝出来て、日豪交流としていい効果があったと思いますよ。
他の国では?
S: フィジーで三回、トンガでは二回ほど演奏しています。
へえ、そうですか!あの辺りは打楽器が盛んそうですね。
S: 盛んですね。
それで、それはどのような経過で演奏することになったんですか?
S: フィジーの日本大使館が「日本文化祭」を催すということで、キャンベラの日本大使館から話が来たわけです。それに、ニューカレドニアでは、「日本人入植百十周年記念」のイベントに招かれました。トンガの二回目は、津軽三味線の只野徳子(のりこ)さんと一緒でした。
国際的に活躍されてますね!
S: そうそう、中国でも演奏したことがあります。これはですね、メルボルンに中国人の舞踏ダンサー集団がありまして、彼等ともチームを組んでいるわけです。それで、彼等がペキンとハルビンで凱旋公演するのにに同行したんです。
それは、北京オリンピックの頃ですか?
S: いいえ、だいぶ前でした。
そう言えば、2013年に、日豪国際交流に貢献していることが認められて、日本の外務大臣から表彰されましたよね?
S: はい。あの賞の正確な名称は「外務大臣表彰」です。ある日、領事館から突然電話がかかってきまして、驚きました。
それまでの活動が認められてさぞ嬉しかったでしょう?
S: そうですね、特に両親が大変喜んでくれましたから、やっと親を安心させることができた気がして、それが嬉しかったですね。
太鼓一本で食べていくようになったのは、いつ頃ですか?
S: 1997年からですね。太鼓教室が順調でした。現在、生徒は140人ほどいます。
他の和楽器奏者やミュージシャンの方達との共演はありますか?
S: これまでに、津軽三味線の只野徳子さん、箏奏者のBrandon Lee(ブランドン・リー)さん、尺八奏者のAnne Norman(アン・ノーマン)さん、ブルースギタリストのジョージ上川さんなどと共演したことがあります。
坂本さん主宰の「和太鼓りんどう」がオーストラリアの太鼓チームの先駆けだと思いますが、現在いくつぐらいあるのでしょうか?
S: オーストラリア全体で、10チーム以上あるようです。二年に一回、「全豪和太鼓フェスティバル」という催しがあって、そこが親睦と技術交換の場になっています。昨年は、ゴールドコーストでありました。
奥様の順子さんも一緒に太鼓をしていらっしゃいますが、こちらで知り合ったのでしょうか?
S: 妻とは、こちらに来る前に熊本で知り合いました。私が95年にこちらで日本語教師アシスタントをしている時に、彼女は熊本で太鼓を始めたんです。彼女はもともとドラムをやっていたので、太鼓にも興味があったようですね。97年に日本で結婚式を挙げました。彼女は97年に来豪して、それからは一緒に生活、活動しています。
これからの目標は何ですか?
S: 「タイコ」という日本語も徐々に浸透してきましたし、これからは次の世代に伝えていくことが目標です。「後の世代に繋げていく」というのが、私の使命だと思っています。
若い世代は育ってますか?
S: はい、順調に育ってますよ。もう僕が第一線(舞台前列中央)で叩かなくても、任せられるようになっているのが何人か出てきていますよ。
そう言えば、先日の「日本祭」でも後ろの方でしたね!
S: 年を取るとあまり表に出ない方がいいんですよ(笑)、若々しいのを舞台の前に出していけば(笑)。
写真3:左から四人目(後列右)が坂本さん(Toshi Sakamoto)
演奏の面での目標は何ですか?
S: 和太鼓は「古い伝統音楽をするもの」と捉えられがちですが、私はあまりそれにこだわらないんです。もちろん日本人から見ても立派だと言われるような、基本がしっかりとした太鼓を打っていきたいと思っています。ただ、それだけではなく、そういった部分を大切にしながらも、新しいことにチャレンジしていきたいですね。私は、「できることやる」ことをチャレンジとは言わないと思うんです。「できないことをちょっとやってみようかな」と思うのが「チャレンジ」だと思うんです。「やったことないけども、やってみよう」という風なチャレンジをこれからやっていきたいです。例えば、今週、「アキラ」というアニメの上映に合わせて、BMGとしてライヴで太鼓の音を入れていくことになっているんです。
それは、また太鼓の可能性が広がりますね。益々のご活躍を楽しみにしています。
本日は、どうもありがとうございました。
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