Julian Matthews(ジュリアン・マヒューズ)
Matthewsは「マシューズ」とカタカナ表記されることが多いが、私は「シュ」ではなく「ヒュ」に近い音だと思う。

ジュリアンは、日本に根強いファンを持ち日本公演の経験もある、西オーストラリア州パース出身のThe Stems(ザ・ステムズ)のベーシストで、現在はメルボルンを本拠地にThe Vibrajets(ザ・ヴァイブラジェッツ)でリードギターを弾いている。

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こんにちは、ジュリアン。今日は時間を取ってくれてありがとう。

ジュリアン(以下Jと略す):どういたしまして。こちらこそ光栄だよ。

写真1ジュリアンと談笑する筆者
Julian


一番最初に楽器に触れたのはいつ?

J:10才だったかな。隣の家のごみ箱に入っていたギターを拾って持ち帰ったのが最初だよ(笑)。

え~っ!ごみ箱で拾ったの?

J:そう(笑)。アコースティックギターだった。それから自分で教本を使って自己流で二年間練習したんだ。

エレキギターを手にしたのは何才?

J:14才の時だったね。友達の兄貴のエレキを彼が外出中に内緒で、その友達と一緒に弾いてたんだ。バレないようにね(笑)。初めての時は、アンプに繋いでEのコードを弾いたんだ。すごくデカい音が出て、もうそれからはギターに夢中になったよ!

プロとして活動し始めたのは何才の時?


J:1984年に、僕は17才でThe Stems(ザ・ステムズ)に加入したんだ。年令はちょっと離れているけど、僕はメンバーのRichard Lane(リチャード・レイン)の高校の後輩になるんだ。そういう縁もあって誘われた。ギタリストじゃなく、ベーシストとしてね。それまでベースを触ったこともなかったんだけど。

【十代のジュリアンがザ・ステムズで演奏する様子を視聴するにはこちらをクリック

その後は?

J:1988年にパースからメルボルンに引っ越して、The Shivers(シヴァーズ)というバンドでプレイして、「Wash Away(ウォッシュ・アウェイ)」というヒットを飛ばしたよ。そして、大学でデザインを学んだりした後、1997年にパースに戻ってウェブ会社を立ち上げた。

DM3 のメンバーとして活動したのはその頃?

J:うん、そうだね。1999年には、ベーシストとしてDM3のスペインツアーなんかに参加したよ。スペインではとても盛り上がって楽しかったな。ウェブ会社経営と並行して、ロカビリーバンドなんかもやってたよ。大好きなルーツ音楽やブルースも演奏してた。

会社の規模はどのぐらいだったの?

J:そうだなあ、50人程従業員がいたかな。

それは、なかなか大きな会社だね。
で、現在は再びメルボルンに住んでいるわけだけど、何か特別な理由があるの?

J:子供を育てるには、音楽シーンが活発なメルボルンがいいと思ったんだ。だから、2007年にパースで経営していた会社を人に売却して、またこちらに引っ越して来た。

子供さんは男、それとも女?

J:15才になる息子がいる。彼はエレキに凝っていて、結構うまいよ。Jimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)なんかが好きみたいだね。

ツアーの思い出は何かある?

J:そうだね。パースを拠点にしてた頃は、自分たちのバンでパースからアデレードをしょっちゅう行ったり来たりしてたよ。30日間で35回ライヴをやったこともあった。若かったから体力もあったからね。ワイルドなライフスタイルだったよ。

話は変わるけど、少年時代に「西遊記」見てた?筆者より:堺正章主演の西遊記は「Monky(モンキー)」というタイトルでオーストラリアやイギリスで絶大な人気を誇っていた】

J:うん、見てたよ。

あの孫悟空を演じた俳優(堺正章)は、グループサウンズのThe Spiders(ザ・スパイダース)にいたんだよ。

J:本当に?!あの主演のモンキーが!?

そうだよ。それに沙悟浄(岸部四郎)もね。

J:え~っ!それは知らなかったなぁ。学校の休憩時間なんかに、棒を持ってよく孫悟空の真似をしていたよ。彼は今でも俳優してるの?

いや、番組の司会をすることが多いよ。現在もよくテレビに出てる。


J:ふ~ん、そうなんだ。

ザ・ステムズのウィキペディアを見ると、日本ツアー時の写真があって、ジュリアンも写っているけど、日本ツアーの思い出は何かある?

J:日本には3回行ったことがある。2回はツアーで行ったね。ライヴをしたのは東京。右も左も分からなかったけど、楽しかったよ。初めての時は、日本の観客からどんな反応があるか全然予測できなかったんだけど、ライヴが始まったらみんなメチャクチャ盛り上がってすごかった!2回目は、アメリカとヨーロッパ回った後に、日本に立ち寄ったんだ。そうそう、ドラマーのDave Shaw(デイヴ・シャウ)と新宿でボッタくられそうになったなぁ(笑)。

新宿の繁華街はボッタくりバーがあるから、気をつけないとダメだよ。で、どうなったの?払わされた?

J:そんなに飲んでないんだけど、目が飛び出るような金額を請求されてね。「そんなに払えない」って言ったら、奥から黒服のお兄さん達が出てきた!

うわ~、やばいねぇ!それで?

J:有り金全部出して、「これだけしかない。これでいいだろ?」って交渉し続けたら向こうが折れてくれた。

それはラッキー!日本人なら身ぐるみ剥がされてるよ!

J:うん、ラッキーだったね。外国人ということもあったんだろうけど、僕は僕らの見かけが役に立ったと思ってる。ほら、デイヴも僕もでかくてゴツイだろ?実際、万が一喧嘩になってたら勝ってた自信があるよ!まあ、やり合うつもりはなかったけどね。

あと一回は観光?

J:そう。Don Mariani(ドム・マリアーニ = ザ・ステムズとDM3の中心人物)と一緒に旅行したんだ。

アメリカでライヴしたことはある?

J:それについては面白い話があるんだ。メルボルンからパースに戻ってウェブ会社を経営している時、ザ・ステムズのウェブサイト宛のメールはすべて僕が読んでたんだ。でも、そのうち面倒くさくなって、すべてドムに転送するようになった。その転送したうちの一通がLittle Steven(リトル・スティーヴン)からのメールだったんだ。

リトル・スティーヴン!彼はガレージバンドを紹介する自分のラジオを持ってるよね。アメリカ人の友人によると、The Kinks(ザ・キンクス)も結構マニアックな曲をかけたりするらしい。

J:でも、当時僕はリトル・スティーヴンが何者か知らなくて、ドムに転送したんだ。そしたらドムから「リトル・スティーヴンはBruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)E Street Band(イー・ストリート・バンド)のメンバーだぞ!そんで、俺達ザ・ステムズにニューヨークに来て演奏してほしい、って言ってる!」って電話があった。

それは、ツアー?

J:いいや、2004年に彼が主催したLittle Steven's Underground Garage Festival(リトル・スティーヴンのアンダーグラウンド・ガレージ・フェスティバル)っていうイベントに招待されたんだ。最初は、渡航費とか経費がかさんでペイできるか分からないから迷ってたんだけど、向こうが全部出してくれるって言うんで行くことにした。で、行ってみたら、Iggy Pop(イギー・ポップ)とかNancy Sinatra(ナンシー・シナトラ)とかも出演していて驚いたよ。回る舞台で演奏したのを覚えている。

他に印象に残っているツアーはある?

J:そうだなぁ。DM3のスペインツアーはすごかったね。マドリッドでコンサートがあったんだけど、スペインの全国放送の番組に出演して演奏したよ。おかげで、コンサートも大盛り上がりだった!

スペインって情熱的なのかな?

J:初めてスペインをツアーをした時は、あまり英語を話す人はいなかったけど、今は小さな町に行っても大体の人は英語を喋るね。

じゃあ、次は今リードギターで参加しているバンド、The Vibrajets(ザ・ヴァイブラジェッツ)について教えてくれる?

J:メンバー全員、僕も含めて、みんな以前他のバンドでの経験があるからやり易いよ。特に、Dom(ドム)のドラミングはすごい!

ライヴで演奏する曲のどれぐらいがオリジナル曲なの?

J:半分はオリジナルだね。今年アルバムを出す予定だ。そして、シドニーとパースでのライヴも計画している。

おーっ!それは楽しみ!

写真2ザ・ヴァイブラジェッツでリードギターを弾くジュリアン
Jul

ザ・ヴァイブラジェッツで弾きまくるジュリアンの映像はこちらをクリック

J:それに、ザ・ステムズの30周年ツアーも話がでているね。

じゃ、2017年は忙しい一年になりそうだね。アルバムもツアーも楽しみにしているよ。今日はどうもありがとう!

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