どうも!
オーストラリアは現在大型連休 イースターホリデーの真っ只中です。
日本でいうゴールデンウィークみたいなものですね。
金曜日: Good Friday キリストが死んだとされてる日
土曜日:休み
日曜日:キリストが復活した日
月曜日:Ester Monday
火曜日
水曜日
木曜日:Anzac Day
金曜日
土曜日:休み
日曜日:休み
なので火曜、水曜 、金曜日の3日間AnnualLeave (有給休暇)の取れる人は
約1週間お休みできる!
金曜日だけ休みにしても、4連休が二回続く!
まあ日本なら、そんな事できず平等に 2日は働いてくれ!
とか、上の人が休むから 休み取れなかったり
連休は逆にお店の稼ぎ時!
とか色々あると思いますが、
ここはオーストラリアなので、、、笑
連休中 普通にお店 閉まりまくってますし、
有給休み取れないから上司にガチギレしてる人を見かけたり、
何でホリデーなのに仕事してるの? みたいなこと言われる時もあるし、
ホリデーで楽しむ事を尊重させてもらえる社会、
“Worker”である以前に一人の“人” として、 社会の文化が構成されている。
休む時は休め!
働く時は働け!
飲む時は飲め!
そんな感じなので、オーストラリア人は オン、オフの切り替えが本当に上手!
学ぶべきポイントだと思うし、
試合中 めっちゃ怖いのに、
試合終わったら、信じられないぐらい優しいし、
優しすぎて信じていいのかわからない、むしろ怖い!笑
それぐらい実は誠実な人なのに、、、試合になると マジで怖い!
これには流石に最初ビビりました!笑
多分小さい頃からそういう育ち方をしてこないとできない!
それぐらいオンになった時のエネルギーは凄い!
凄くいい事だと思う!
今日もここからいきましょうか!
“皆さん、夢ってありますか?”
こんな感じですよ、今日わ!笑
ほんと突然ですみません。笑
皆さんは夢があると信じてお話をしていきますけどね、
僕は小さい時からずっとありました!
このブログを始めた時から言ってきましたが、
小さい頃からずっと サッカー選手になりたかったんです!
3歳からサッカーを初めて、もう25年間サッカーしてることになります!
それでもサッカーへの愛は増しています。
最初、お父さんがサッカーしているのを見て サッカーを始めたんですよね。
覚えていませんが、多分そうなんです。
なので、最初はお父さんみたいになりたい!って思ったとこから
自分のサッカーキャリアがスタートしたと思うんです。
そこから小学生時代、
ただただ一生懸命にサッカーしていて、
より強い相手とサッカーしたい!って思うようになっていたのを覚えています。
恐らく自分の中で、
俺はまだまだやれるし、とんでもない選手達とやってみたいな!
って思っていたんだと思います。
ある日、初めてJリーグと日本代表の試合を見に行った時
地元セレッソ大阪のレジェンドの森島寛晃 元選手が 代表、クラブ 共に活躍されていて
森島寛晃さんみたいになりたい と思ったというわけではないですが、
俺もあういう風に 注目を浴びる、声援を浴びる、拍手を浴びる、国を救う
サッカー選手になりたい、プロサッカー選手になりたい!
と確信ついたのは、そこからです。
その後もサッカーへの道を進み、
“たくさんの成功、そして成功の数より多い失敗”
を重ねて大学に進学しました。
僕は阪南大学サッカー部にいた時、
チームメイトが僕の夢だったプロの世界へ進んで行く姿を目の当たりにした。
そして、自分がそこに行けない理由も自分自身 納得していたし、
何より、”実力不足“
それ以外ない!
誰も必要としなかった。 ただそれだけだった。
その後色んな過程を進んで、 海外でサッカーの道を歩む事を選択した。
大学卒業後の進路を考えていた時、
以前からお伝えしていた通り、まず海外に出たかったという思いはありました。
でも“サッカーで海外に挑戦する”
といったことは正直予想してなかったです。笑
そして、またここで
海外でサッカー選手になるんだったら、、、、こうなりたいなぁーって
思っていたことがあって
オーストラリアに来る前に考えていたことは、
まず普通の人以上にカッコよく英語を話せるようになる!
片言の英語や、普通の意思疎通ができる範囲での英語は論外。
“とにかくカッコよく話せるようになること”
当時学生だったので、まあこんなもんでしょう。笑
そして出発日が近づいて来た時、
なんか学生生活のことや大阪での22年間を色々思い出したりして、
急に寂しくなったが、その時に思ったのが
“自分の活躍を海を越えて日本まで届くように🇯🇵 結果を残そう”
“新聞に乗ろう!ネットの記事になろう“
“とにかく世間から認められた形でみんなに活躍を届けようと誓った”
そして、、これはかなり漠然とあった憧れだが
”いつか海外のクラブでキャプテンマークを巻いて試合に出よう“
これだけは何としても叶えたかった夢だった。
日本から飛び出して、
大学卒という経歴で世に出たサッカー選手ですが、
経験を積んで、プレーで信頼を勝ち取る。
ここまでは良くある成功のプロセスじゃないですか?
成功なんで全然良いんですけど、、笑
でもやっぱり自分はみんなと一緒は嫌なんで、、
そこから人間的にも、語学の面でも、まずサッカー選手という枠を越えて
模範 となる人間
日本ではなく異国の地でキャプテンをすることに意味があって、
少なくともクラブにおいては、
関わる全ての人に必然的に認められたことになるポジション。
Lead(リード)先導、率いるなど
に
er をつけた
“Leader (リーダー) ”
になりたい。
そう思っていた。
あれから6年、、、結果発表
語学に関してはほぼ日常会話で困ることはないほどにまで話せるようになっている。
けど、全然完璧ではない。68点ぐらいかな?笑
新聞には何回か載せて貰った。地域新聞やら、スポーツ紙も いくつか、、
インターネット上での記事は結構ある。
まあ規模が小さいからこれも60点ぐらいか、、
最後のキャプテンになる夢。
Blacktown Spartans 在籍時、
副キャプテンを務めた。
ゲームキャプテンは3回ほど、、
試合開始前のレフリーと両キャプテンだけのやりとり、コイントス、、
色々緊張したぜ!
そこが緊張したお陰で、試合リラックスできた。笑
でも主将ではなく、副主将で、
全てが惜しい。65点!
まあこんな感じですね、
まあとにかくここまで色々話しました。
結局何が伝えたいか、です!
3歳の頃、お父さんに憧れてサッカーを始めて
約数年
“プロサッカー選手になりたい”
と思うようになった。
サッカーを続けている最中
自分はどんなサッカー選手になりたいのか、
どんなプレーをしてどんな振る舞いのできるサッカー選手になりたいのか!
サッカー中、学校の授業中、ご飯食べてる時、お風呂入ってる時、寝る前、
いつもどんな時も自分の理想のサッカー選手を思い描きながら生きてきた。
そして、理想や夢が “自分の実力”と共に進化を続ける。
サッカー選手になりたいと思ったあの日から
”堀 滉二郎“は、
ずっと頭の中で
“夢のアップデート“
を繰り返し続けてきた。
誰も真似できないようなプレーを練習した。
そして、それができるようになった。
そしたらまた やってみたい、できるようになりたい!と
思うようなプレーが新たに出てきた。
どんどんアップデートを繰り返していた。
でもそれは成功だけがアップデートされるわけでは無い。
”失敗のプロセスもしっかりアップデートされている“
海外に行く事を決意したのも、Jリーグという日本のプロの道に失敗した過程があって
ここオーストラリアにいる。
でもそれが挑戦した証であるからこそ、新たに海を渡るキッカケを生んだ。
理想を追い求め続ける限り、なりたい自分に挑戦し続ける限り、
尽きることの無い
“永遠の人生アップデート”
全ては父さんに憧れたあの日から
”My update “
は始まった!
最初 0だったものが、今ではとてつもなく進んでいる。
今日もまた少しづつ理想に向かってアップデートを繰り返し、進み続ける。
全ては繋がっている。
僕の伝えたいことが、理解して貰えただろうか?
前を向いて、なりたい自分にとことん挑み続けよう!
すると少しづつ、形を変え
自分にとっての理想へとたどり着ける。
自分を追い求め続ける限り、
いつか必ず 辿りつける!
“実現へ”
Kojiro Hori













