人間やモノを勝手にカテゴライズし、そのカテゴリの性格を一般化し=レッテルを張り、見下すという行為が、よくもそんな簡単にできたものだ。
このような態度が、すべての差別や偏見、誤認を生むものの種、と思います。
例えばですが、自分が何か悪いところを指摘されたとする。
これが理にかなっているものであれば、もちろん反省をし、今後の糧とすることができます。
ですが、上記のようにレッテルをはられ、非難されてしまうと、まだ自分のしていない、未来の行為に対しても、幾分か否定されたように感じます。
これは、全く生産性のない指摘です。他を落として、自らを上げるという、汚い行為であると思います。
これこそ、差別の発端ですよね。
個人という、尊重されなければならないものを、全くもって無視している。
人間は、当人の気付かないところで差別的な見方をどうしてもしてしまうところがあるかもしれません。
ですが、それに気付いてゆくことが、協調や平和を生み、偏見をなくすことに、つながってゆくのではないでしょうか・・・。
思うところがあったのでこのように書かせていただきました。
感情的になってしまったときは、いち早く文章化する。これにつきます。
感情を文章で説明する。
なんで自分が「イラッと」してしったか。これが重要。
その理由を解明しないことには、「自分の中での成長」というものはあり得ないですから。
「心の成長」という言葉がありますが、この言葉もあんまりしっくりときません。
なぜかというと、「心の成長」というものにも、いろいろなベクトルがあり、ある定められた方向のみが、それに適うものではない、と思うからです。
例えば、「謙虚になった」という事態を、Aさんは「おしとやかになり、大人になった=成長した」と感じるかもしれないし、Bさんは「自分の意見をはっきり言うということを忘れてしまった=成長していない」と感じるかもしれない。
ですが、Aさん、Bさんの、それぞれの人の意味での、「成長」というものは、確かに存在する。そのような意味で、「自分の中での成長」というワードを選択したのですが。言ってみれば、所謂「大人」なんて、存在しないのかもしれません。巷でよく言う「精神的に大人になった」というフレーズにも、クエッションマークが付きまといます。
こういう点で、私は、どちらかといえば、相対主義者に属するのでは、と思いました。
皮肉なことに、この「相対主義者」という言葉自体も、レッテルを作りだす言葉なのですが・・・。
そこまでは考えないでおきましょう。日が暮れる。
明日になったら、この心の奥の、どす黒くなってしまった部分が、洗い流されているといいな。
ミスをしない人なんていないと思います。完璧である風に気取ってるんじゃないよ。
…心の奥底の声が聞こえてしまった・・・
では、おやすみなさい。何だか暗い記事でごめんなさい。
今日は最後以外完璧だったので、どうかお願い、明日もよい日になって下さい。
このような態度が、すべての差別や偏見、誤認を生むものの種、と思います。
例えばですが、自分が何か悪いところを指摘されたとする。
これが理にかなっているものであれば、もちろん反省をし、今後の糧とすることができます。
ですが、上記のようにレッテルをはられ、非難されてしまうと、まだ自分のしていない、未来の行為に対しても、幾分か否定されたように感じます。
これは、全く生産性のない指摘です。他を落として、自らを上げるという、汚い行為であると思います。
これこそ、差別の発端ですよね。
個人という、尊重されなければならないものを、全くもって無視している。
人間は、当人の気付かないところで差別的な見方をどうしてもしてしまうところがあるかもしれません。
ですが、それに気付いてゆくことが、協調や平和を生み、偏見をなくすことに、つながってゆくのではないでしょうか・・・。
思うところがあったのでこのように書かせていただきました。
感情的になってしまったときは、いち早く文章化する。これにつきます。
感情を文章で説明する。
なんで自分が「イラッと」してしったか。これが重要。
その理由を解明しないことには、「自分の中での成長」というものはあり得ないですから。
「心の成長」という言葉がありますが、この言葉もあんまりしっくりときません。
なぜかというと、「心の成長」というものにも、いろいろなベクトルがあり、ある定められた方向のみが、それに適うものではない、と思うからです。
例えば、「謙虚になった」という事態を、Aさんは「おしとやかになり、大人になった=成長した」と感じるかもしれないし、Bさんは「自分の意見をはっきり言うということを忘れてしまった=成長していない」と感じるかもしれない。
ですが、Aさん、Bさんの、それぞれの人の意味での、「成長」というものは、確かに存在する。そのような意味で、「自分の中での成長」というワードを選択したのですが。言ってみれば、所謂「大人」なんて、存在しないのかもしれません。巷でよく言う「精神的に大人になった」というフレーズにも、クエッションマークが付きまといます。
こういう点で、私は、どちらかといえば、相対主義者に属するのでは、と思いました。
皮肉なことに、この「相対主義者」という言葉自体も、レッテルを作りだす言葉なのですが・・・。
そこまでは考えないでおきましょう。日が暮れる。
明日になったら、この心の奥の、どす黒くなってしまった部分が、洗い流されているといいな。
ミスをしない人なんていないと思います。完璧である風に気取ってるんじゃないよ。
…心の奥底の声が聞こえてしまった・・・
では、おやすみなさい。何だか暗い記事でごめんなさい。
今日は最後以外完璧だったので、どうかお願い、明日もよい日になって下さい。