水汲み
小学校の三年生の時、母に言いました。
「母さんは畑仕事で大変だから雪が解けたら水汲みは私がする」
水汲みは辛い事だと知っていました。
隣もその隣の家族も畑仕事は皆でしていました。
けれども私の家は高校までは卒業しなければなりません。
学問の大切さは父から教えられました。
当然のように上の学校へも行きます。
母は何時も一人で鍬を振っていました。
慣れない仕事でした。
朝は陽が上るともう畑にいました。
何時に起きたのか朝の弁当も粗末な食事もテーブルの上にありました。弁当の中身は決っていたので手間はかからなかったものの数が多かったので大変な時間が掛かかったでしょう。
学校の帰りは三十分余掛かります。
帰るとすぐに水汲みを始めます。
私の家は高い所にあって井戸を何度か掘ってみましたが水が湧きでないのです。
水汲みは二時間かかります。
私は雨の日が好きでした。畑仕事の出来ない母が一緒に水汲みをするので早く終わりるからです。早くと言っても四・五十分は掛りました。
井戸のある家は坂の下の馬を飼っている家です。
馬小屋の隅に井戸がありました。
五頭の馬の一頭は私が戸を開けると「ひひーん」と啼くようになり
私はその馬の側に行くのが好きでした。
空の桶に水を入れると喜んで飲むので水汲みの日はそれも日課になりました。
辛かった水汲みは少しずつ伸びる背丈と慣れで苦にならなくなった。相変わらず学校の帰りは走って帰ります。
小さいので良く轍になって草の伸びる秋にはバケツが草にぶつかり水が身体に掛り服がびしょ濡れになりました。
また水の量が減るので回数も多くなったり大変でした。
五年生になると冬も母と一緒に水汲みをするようになりました。
水汲みの辛さを知って母の水汲む回数を減らそうと思ったのです。
冬は大鍋に雪を入れ熔かして使います。
飲み水と顔を洗う時はやはり井戸水で天気の良い日に水桶やバケツ鍋等にも汲んで置きます。
雨の日、母と一緒に水汲みに行くと母は知り合いなのか馬を飼育する従業員と笑いながら話しているのです。
何時ものように馬に水を上げていると、母が「あの人達、夫婦なのよ。お前を褒めていたよ。何時も一生懸命だって・・・」
私は一度も会った事は無いので黙っていました。
するとその二人が私の側まで来たのです。
薄暗い馬小屋では始めは見えなかった。二人は笑っています。
「こんにちわ。何時も馬に水上げてくれて・・・」
すると二人の首に動くものが見えたのです。
驚いている私に言うのです。
「この白い蛇は冬の間、私の家にいて春になると森に帰るの」
旦那さんは白い蛇を優しく撫でているのです。
「白い蛇は{神様の使い}なのよ」
奥さんの首にも白い蛇がいます。
母は平気でいるので私も平気を装っていましたがどれほど驚いていたか想像もつきません。
母は帰り水がこぼれる位一杯入れているバケツにリズムを付けるように歩くのです。
「さっき蛇の味噌漬け貰ったので夜のおかずができちゃった。
あの夫婦。黒蛇は皮を剥いで料理にしているの。あんたのお弁当にも入っていたでしょう」
一度美味しい肉が入っていた。何時もは糠鰊と漬物に決まっているのにあの日だけは違っていた。
あれが蛇だった。
次の日から馬小屋に入って馬に水をやると逃げて帰って来ました。
間もなくあちこち家が建つと水道が付き水汲みは終わりました。
そしてあれから五十年経ってあの坂で不思議なことがおきたのです。
続く