オーロラを全国にお届けする

オーロラを全国にお届けする

オーロラメッセンジャ「中垣哲也」のブログです。

京都市青少年科学センターでは、

 

写真展「オーロラワンダーランド」4月7日(水)まで

 

プラネタリウム一般投影番組

「オーロラ〜太陽のおくりもの〜」

4月7日(水)まで

 

見応えありますよ!

オーロラ爆発のシーンも。

 

 

 

大型モニタでショートストーリー。

エンドレスで再生しています。

 

 

 

 

 

 

 

記念写真も撮れるんです。

 

 

 

 

特別投影「中垣哲也上映&トークライブ」3月27ー28日

 

全国的に、再び感染者増加の傾向が見られる中、

2日間で、合計6公演の開催で、

ほぼすべての回で定員90名までお越しくださいました。

 

 

 

参加者のみなさんには、きっちりと感染対策にご協力いただき、

無事に行われたことに感謝です。

 

当施設での開催は、今回初めてでしたが、

このご時世にしては合格でしょうか。

 

みなさんのリクエストがあれば、また実現するかも?

 

秋には、また近畿圏で上映会でまわります。

 

 

・・・・・・

 

伊丹空港から札幌へ帰る飛行機は絶景でした。

 

 

富士山が!

 

 

 

北アルプス上空から

 

札幌は春っぽくなっているかなあ・・・

 

私のアレルギーの一覧です。

 

去年の2月に大阪で、ついにスギ花粉症が発症しました!

(それまでは大丈夫でしたが)

 

いまは、地元札幌でハンノキ花粉攻撃に遭っております。

窓から見えます。

 

そして、これからいよいよ最大の敵シラカバ花粉!

 

耳鼻科に行って薬を出してもらわないと、

一日中鼻水流して泣いていることになります。

 

そもそも、年中、

ほこりが立つとハウスダストにやられているのですがね。

 

リンゴはシラカバと同じような顔(タンパク質の型のこと)をしているので、

食べられないのです。

(アップルパイは大丈夫みたい)

 

くしゃみ、鼻水、多少の咳をしても、コロナではないですからね!

 

今日は3月24日、春分の日を過ぎたばかりで、

このタイミングでは、

まだまだ宮の森の山裾には花は咲きません。

 

待ちきれないので、過去の写真を引っ張ってきました。

 

 

 

 

まず最初に花開くのは、やはり福寿草ですね。

例年、4月上旬ころでしょうか。

 

 

 

わが家には、私が20年前に植えた桜が3本元気にしていますが、

いずれも大木に成長しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜の木の下に宴会場が見えます。

 

 

 

 

コロナ禍で一般の公園の花見会場は、

おそらく今年も楽しめないと思いますので、

わが家でひっそりと楽しみたいと思います。

 

当然、参加者の体調チェックなど、対策万全にします。

1度に多くが集まらないように、回数を増やして分散します。

 

日程は花と相談しながら決めますが、今年はおそらく、

1回目は5月上旬頃、

2回目は5月15、16日ころ。

 

希望者があれば、平日にも設定できます。

 

 

↓ これは数年前の時のものです。

 

 

このように、告知したいと思います。

参加ご希望の方はチェックしてくださいね!

 

 

 

5月8日(土)の札幌でイベントでは、

道内外に限らずボランティアスタッフを募集します。

道外の方は、わが家に宿泊も可能です。(体調万全の方)

 

写真は2021年3月7日 蔵王上空から仙台湾を望む。

(赤い↑が御釜)

 

 

ー もはや原発再稼働の合理性は何もありません ー

 

原発を再稼働することは

 

→ さらに核のゴミをつくる

 

→ 青森県六カ所再処理工場には、日本中の原発の使用済み燃料が集められますが、技術的困難と予算難を理由に、あまりにもずさんな処理のまま(処理をしないままの物質もある)、大気や海洋に汚染を放出しています(原発が1年に出す放射線汚染を1日で放出)

 

 

→ この再処理により、さらに廃棄物を増やす

 

→ 六ヶ所再処理工場が事実上のパンク状態のため、多くの原発でのゴミは、その敷地内に保管されている

(日本中にテロやミサイルの標的が無防備に存在している)

 

→ そして最終処分地は北海道が狙われています(札束を武器に)

 

 

都会に住んでいて、核問題に無関心な皆さんに聞きます。

 

青森とか北海道の人は危険にさらされてもかまわないですか?

 

同じ国の、同じ人間です。

 

核の問題に関心を持てないと言うことは、

地方で生きる国民(健康や命)に対しての強烈な差別です。

 

 

核燃料サイクル事業は完全に破綻しました。

すなわち危険な核ゴミを、処理も始末も出来ないのです。

 

それでもまだ、再稼働を許しますか?

 

これ以上原発の再稼働を許すことは、人の道から外れています!

 

それにしても、

福島第一原発の廃炉で出る気が遠くなる程の量の放射性廃棄物は、

この国のどこに処分されるのでしょうか?

 

私たちの代の勝手な都合で、50年後、100年後、300年後、

後世にとてつもない負の遺産を残してしまいます。

 

その間に大地震や津波は何度も襲ってくるでしょう。

 

 

(補足)

女川原発再稼働へ <いまだに・・避難計画より金>

 

六ヶ所再処理工場のずさんさと恐ろしさ

 

 

福島原発から、同心円状に記されたラインが、

何の意味もないことを示しています。

 

そのときの風に乗って、

風向きに従って、遠くまで流れていく。

 

そこに暮らしている人の五感には何も感じません。

 

しかし、測定器で測れば、驚くような数字を示し、

ことの重大性を知らせてくれます。

 

そして被ばく量に応じて、確率の問題で人体に影響が出ます。

 

これが科学です。

 

放射線の科学はかなり難しいです。

 

一般の人が正しく理解することは相当の努力が必要です。

 

福島原発事故による放射線汚染について正しく知り、

正しく恐れることは、一般には難しいと思います。

 

今思いついた理由は、

・医学や生理学など広範囲な知識がベースになる

 

・汚染の情報が少ない

 (ex. どのような核種が、いつ、どのくらい環境に放出されたのか?)

 

・放射線の話題に触れること自体、避ける傾向が強い

 

・情報にプロパガンダが多く、誰かの都合の良いデータが流れ、

都合の悪いデータが隠される。偏った情報により正しく知ることが出来ない

 

・日本人は特定の情報を鵜呑みにする傾向が強い

 

・放射線の障害は、長い年月を経て発症する場合が多く、因果関係は証明できない

 

・そもそも国が、汚染状況や被ばく者の健康調査をしていない

(科学先進国から遠くかけ離れていることが理解出来ます)

 

結果的によくわからないのです。

 

 

(群馬大学 早川 由紀夫氏調査)

 

多くの放射線物質は、太平洋に流れましたが、

風向きが、このような放射線汚染分布を起こしてしまいました。

 

 

事故から1年半後の2012年11月に、

私も線量計を用いて、各地を測定しました。

 

宮城、山形、福島、茨城、東京・・・

 

やはり早川先生の制作された汚染マップと同じような傾向でした。

 

東京は、東側が高い印象がありました。

 

ただし、

測定していたのはガンマ線のみですから、

環境に存在しただろうアルファ線やベータ線は測定不可です。

 

実際、人体に影響が強いのは、

微量であってもベータやアルファ線です。

 

たとえば白血病の原因は、ストロンチウム90のベータ線の影響も考慮しなくてはなりません。

 

プルトニウムも環境に放出されたと言われており、

アルファ線は微量であっても非常に危険で、

また体内に取り込んだアルファ線を測定器は存在しません。

 

被ばくしたのかどうかもわからないのです。

 

車のナビと測定器。

「危険」と赤い色を示しています。

 

 

農家の苦悩はどれほどだったでしょうか。

 

 

 

 

事故から1年半後、深刻というよりは、絶望。

 

 

 

 

 

 

 

 

雑木林で。

 

 

 

 

地形的に?

驚くような線量を示す場所も。

 

ここまで線量が高いと、

放射線感受性が衰えた(50歳以上)私でも、

この場所からすぐに立ち去りたい気持ちになりました。

 

 

 

 

原発から北東に位置する飯館では、

無情な風向きは、容赦なくセシウム137などを乗せ、人々の生活圏を襲いました。

 

国は放射線の流れを知っていましたが、

その健康・命を守る情報を住民に与えませんでした。

 

それによって、放射線感受性の高い若い人たちを無駄に被ばくさせました。(一言で言うと犯罪ですよね)

 

 

チェルノブイリの方が、よほどましだった。

 

 

私はこの国の体質(都合の悪いことは隠すこと)は、

国民の健康や命より大事なのだと愕然としました。

 

 

 

 

除染された校庭だけは、

他より妙に線量が抑えられた印象を持ちました。

 

でも、これでも一般的な土地からは3倍程度の線量となり、

けっしてこれで安心ということではありません。

 

 

学校の裏側で測定してみました。

 

 

 

学校のすぐ裏の畑では、

法律的には「ここにいてはいけない」レベル!

 

 

ということは、

除染されている校庭などはギリギリセーフですが、

まわりの生活環境はそれほど除染されていませんので、

線量が高いことが想像できます。

 

 

原発事業は国の責任でもあります。

(核燃料サイクル)

 

 

なんの責任もない、

そして放射線感受性の高い子どもたちが、

国策の事業の一環の失敗により、

放射線量の高い環境で暮らし義務教育を受ける実態に、

この国の悲劇的な無責任さ、倫理観のなさを痛感しました。

 

 

すでに、事故から10年を迎える前から、

若年層の腫瘍の発生が高くなっている話を耳にすることが多くなってきました。

甲状腺がんや白血病です。

 

それに対して、

原発事故と因果関係があるとか、ないとか、議論を聞きます。

 

確かに、

放射線の被ばくによる障害の原因は、

頑張っても原発事故によるものと因果関係は証明できません。

 

それをいいことに・・・

 

 

どうでもいいから、

社会が全力で子どもたちを守ってあげられるような国にならないだろうか。

 

みなさんはどう思われますか?

 

 

私はご縁があり、

2011年の秋から、

5年連続で東北の被災地をまわることが出来ました。

 

小学校、中学校、お寺などでオーロラを見てもらって、

お話しする機会を与えられました。

 

学校が津波で被災し、使えなくなり、

内陸側の学校に間借り?している学校を、

数年にわたり何校か訪れることが出来ました。

 

私にとって、私の信念に大きく左右するような出来事です。

 

 

 

 

お父さんか、お母さんか、

兄弟か、

おじいちゃんか、おばあちゃんか、

最愛の人を亡くしてしまった子に、

深く傷ついた子どもたちに、

何を伝えたら良いのか?

 

 

当時は私もまだ駆け出しで、

未熟で、

でも夢中になって、

自分に出来ることを模索した想いがよみがえります。

 

 

 

被災して傷ついているはずの子どもたちの、

まっすぐ前を見ているまなざしを感じたとき、

衝撃を受けました。

 

 

 

すごいエネルギー。

 

 

 

大人として、恥ずかしいことは出来ない、

出来るだけのことをしよう!と、

この瞬間に湧き上がったことを鮮明によみがえります。

 

 

 

 

 

 

あの地震から、

 

およそ50分も時間の猶予がありました。

 

 

 

 

 

学校のすぐの裏山に避難した6年生は、

 

先生の支持で呼び戻されました。

 

 

 

 

地震から40分たって、

 

大津波警報が伝わって25分ほどたってから避難開始、

 

200mくらい先の、端のたもとを目指しました。

 

 

 

子どもたちら、86人(児童74人)が目指した場所。

 

実際は・・・

ここまでたどり着くことができませんでした。

 

 

 

いえ、

ここを目指した瞬間に、

幼いいのちの運命が決まってしまったのです。

 

 

 

この場所も、すっかり津波にのまれてしまいました。

 

 

今、その場所には、

 

2011年3月11日に起きた出来事が刻まれています。

 

 

 

 

 

 

 

写真左が大川小学校、

 

川の堤防があり、学校の上だけ見えています。

 

学校が存在する地面は、

この堤防よりかなり低い場所にあり、

強い圧迫感を感じます。

 

 

堤防から水があふれると、

一瞬であたりは一瞬で水没してしまう。

 

 

橋のたもとに向かった86名の命は、

そこまでたどり着くことなく、暴れる波にのまれました。

 

 

 

ところが、

子どもたちの命を救えたはずの道は、

あまりにも近くにあったことに愕然とします。

 

 

低学年でも登れる山が、すぐ裏ありました。

 

 

一度でも避難訓練をしていれば、

躊躇なく、そこに逃げ込んで、全員が助かっています。

 

 

実は、以前から自治体が、大きな地震が来ても、

ここまでは津波がこないと公言していたらしいのです。

 

 

実際、大地震が起きて、

「一応は高台に避難する」に至らないほど、

危機意識がなかったことが、

救えるいのちを失ってしまった原因です。

 

 

最悪想定することを嫌う日本人の文化。

 

それによって、もしもの時に備えるということすらもしてこなかった。

 

 

私は2011年から何度かこの地を訪れていますが、

悔しい気持ちは変わりません。

 

 

 

 

自分に出来ることはやろう。

 

そのように心がけている理由は、

3.11の被災地を見てです。

 

 

 

それから毎年、全国各地をまわる私には、

人々が歳月とともに、

どんどんと忘れていくことも感じ取れます。

 

原発事故もそうです。

 

 

どうしても人間は、

都合のよいように忘れられる生き物ですが、

 

でも二度と繰り返してはいけないことは、

絶対に忘れてはいけない。

 

私たちが生きる日本は、

大きな自然災害が、太古から繰り返しているのです。

 

経験した私たちは、

そのことを後世に伝える義務があるのです。

日本は、特に三陸は太古から何度も地震と津波を経験してきました。

 

地殻のあるエネルギーが溜まれば、それを解放する。

地球の長い歴史の中で何度も繰り返してきている、

これは自然に起きる「普通」の出来事なのです。

 

実はそう遠くない時代にも起きていました。

 

明治三陸地震(明治29年=1896年)はマグニチュード8.2と、

今回の規模に近い超巨大地震でしたが、

なんと!

地震自体は震度2〜3程度で、当然、みな油断したようです。

海底の地殻が「ゆっくり、大きく動いた」ことによって大津波が発生、

2万人以上の犠牲があったそうです。

 

それからたった37年後に、今度は大きな地震がありました。

昭和8年3月3日(1933.3.3)、昭和三陸地震です。

 

このとき、前の明治の地震の経験から、

「津波は小さな地震の後に来る」

「冬の晴天には津波は来ない」などの言い伝えもあり、

避難を躊躇したり、ふたたび眠りについてしまった人も多かったよう・・・

結果、犠牲者が多く出たそうです。

 

その経験を伝承してくれた石碑がこれです。

 

2011年10月撮影

 

 

今回、この石碑の伝承を心していた人がどれだけいたのかは知りませんが、

現地の人たちの会話を聞いたことがあります。

「そういえば、そのような石碑があったね」

 

 

近くに小学校がありました。

海岸で、目の前が海。

 

私がそのときに強烈に思ったこと、

「どうしてこんなところに学校を作ったのだろうか」

 

 

 

この小学校も海岸から300メートルの低地にありました。

 

 

どこまで津波が這い上がってきたか!

信じられない高さに印の看板がつけられています。

 

ここは見渡したところ逃げるべき高台が近くになく、

避難場所まで低学年の足では間に合わないと判断したらしい、

全員を校舎の屋根裏部屋に避難させたそうです。

 

 

 

津波1波、2波・・・

 

ガラスが割れる音、波しぶきが屋上まで飛び散っていた中で、

子どもたちの恐怖は想像を絶するものです。

 

 

翌日3月12日の朝に、全員が自衛隊ヘリで救助されました。

ヘリからの光景が忘れられないと、先生からお聞きしました。

 

「学校以外に何も残っていなかった。よく助かったな」と。

 

素早い判断は多くの命を救うことになったわけですね。

 

印の位置まで津波が襲ったのです。

信じられますか?

 

 

ご縁があり、この壮絶体験をした子どもたちに、

オーロラを見てもらう機会を与えられました。

 

自然の脅威をいやでも植え付けられてしまったわけですが、

後世のために伝承して欲しいと願っています。

今年も恵庭でオーロラ!

 

もう10回目くらい?

数えられませんが、毎年恒例、コロナに負けないで開催します。

 

私もコロナ禍で、新作映像いろいろと制作できています。

感染もやや落ち着いてきた感じでしょうか。

 

もちろん感染予防対策万全で臨みます。

 

昼の部、夜の部、基本的に同じですが、

お客様の顔ぶれを見て作戦変えますので、

両方の参加もありですよ。

 

今日から3月になりました。

 

コロナ感染状況は、減ってきたけれども、下げ止まり・・・

 

これからは、感染対策万全にて、経済、社会活動は再開する!

 

というわけではありませんが、

3月からオーロライベントは再開します!

 

 

 

群馬県・太田市のプラネタリウムで初開催です。

 

隣町でクラスターが発生の経緯もあり、

規模縮小の開催となります。

2日間開催のところ、3月6日(土)のみの開催です。

 

オーロラを見てみたい!

というかたは、くれぐれも子ども向けではなく、

大人向けにご参加ください。

 

物販スタッフ1名募集しています。

お近くの方、どなたか手伝っていただけますか?

 

 

次は北海道、恵庭市「夢創館」

2011年から継続しており、今回で10回目くらいでしょうか?

数えられなくなってしまいました。

 

毎年、新しい試みは、この会場でスタートすることが多いのです。

今年も新ネタたっぷり用意します。

 

 

 

京都の開催は、

緊急事態宣言が出された1月から延期をお願いしまして、

見事に感染数も一桁くらいまで下がってきました。

 

これで来てくれるといいなって思っています。

 

京都市青少年科学センター・プラネタリウムは初開催となります。

 

以上のすべての会場では、

新作「AURORA HAPPY」の販売サイン会を行います。

 

 

お待ちしています!

 

本当だったら、今月はカナダイヌビックへ、

オーロラツアー実施のはずでしたが、

太陽活動も右肩上がり、堅調に推移しています。

 

早く現場復帰したいものです。

秋にはきっと。