かりん堂です。
実は月曜の昼間に祖母が亡くなり
昨夜お通夜で本日葬儀でした。
結婚してわりと近くに住むようになったので
しばらく会っていなかったこともあり
早いとこ会いに行こうと思っていた矢先での
急な話でした。
母いわく
私のことも気にしてくれていたそうな。
95歳で天寿を全うしたと言えるでしょう。
38年前早くにじいちゃんを亡くしたばあちゃん。
あちらでとってもとっても久しぶりに
夫婦水入らず新婚気分で過ごしてもらえたらな、と。
年齢も年齢なので
めっちゃ悲しいーーー!!!!
という感覚は特になかったけれど
孫の役目として
献花でのアテンドを始めたところで
涙がこぼれてきました。
その後収骨の儀式を終えるまで
度々涙がぽろぽろと。
そして会食を終え解散となり
夫と帰宅しようと
久しぶりに会ったおじおばいとこに
あいさつをするのに
名残惜しいような気持ちになったのだ。
何年も会っていなかったのに
ライフスタイルも違うのに
共通の話題もないのに
不思議なものである。
帰宅後は寝不足だったのもあり
ゆっくりしようと
夫とベッドにごろごろしながら
祖母や親戚の話をしていたら
またもや涙が止まらなくなった。
この先いつか来る両親の死も怖くなった。
ひとりぼっちになる恐怖みたいな。
夫に「自分がいるじゃない」と
言われたけれど
そーゆーことじゃないんだな…と。
孤独が怖いのではなく
孤独感に飲み込まれるのが怖いことに気づいた。
誰かとどれだけ一緒にいても
何をどれだけしても
ずっとずっとついて回り
皮肉なことに離れようとしてくれない孤独感
自分の中にある孤独感からは
一生逃れられないんだなあ、と。
これを受け入れて生きていくしかないんだな。
ちょっと覚悟ができた感じ。
火葬場まで時間を巻き戻してみる。
お棺の中のばあちゃんのほっぺに
触れたくてもなかなか触れられなくて
火葬する直前の最期のお別れの時
勇気を出してやっと触れることができた。
もし触れられなければ
きっと一生後悔するだろうな、と。
書いていてまた涙が溢れてくる。
ばあちゃんが生きてるうちに夫を紹介したかったな。
今日は孤独と孤独感は違うことが
自分の中ではっきりわかった日だった。
この感覚と一緒に生きていくことは
ちょっとしんどいけれど
それもまた私の一部として
受け入れていくだけのことである。