2号くんが5歳児にして隠れてゲームやったりなど

時間を守らないとか

親に怒られることが増えたので

タラー戒めタラーなどを兼ねて

再び御巣鷹の尾根に行こうとしました。


が…


事前に調べるのを忘れてたアセアセ


土砂崩れで御巣鷹の尾根登山道は当面の間、通行止めにアセアセ




多分行けなかった方々の花束だと思います💐


時間が余ったので、

慰霊の園に行ってきました。


園しか撮っていなかった雲


ここで線香があったのですが

マッチ苦手なので

予め持ってきたライターで

線香をあげました。

2号くんは太鼓のバチと勘違いして叩こうとしていたので


私:1回だけだよ

私:静かに鳴らしね


素直に聞いてくれました。







資料室では

まさかの「ひこうきーー」と叫ぶしガーン


多分ここの園でしか閲覧できないと思いますが

当時上野村消防団の方、猟友会の方、村職員の方の体験談を映像で聞くことができました。

撮影禁止のため、私が聞いた話をすごく簡単に書きます。

猟友会の方のお話では、当時は現場までの道はなかったので、沢を頼りに何時間も歩いたそうです。

また自衛隊・消防団・猟友会で連携が取れなかったために情報交錯が発生し救助が遅れてしまったとの話もありました。(当時報道でも8/12夜中あたりは「御座山(おぐらやま)」と誤報道された)

静かだった上野村では学校に自衛隊や報道の車両が集まり騒然となったこと、8/15に村民を対象とした成人式を行うが中止になってしまったこと、救助に尽力したこと、村民が自粛の中でもせめて笑顔を取り戻したく小学校か中学校で運動会を行ったことが残されておりました。

炊き出しを担当した村職員の方は、炊き立てを素手で提供したため手に火傷をしてしまったこともお話されておりました。

元消防団の方は、墜落前の飛行機を目撃したとお話されておりました。ありえない高度と爆音で、山の麓に消えたかと思ったら、キノコ雲が上がったとの事でした。

当時の小学生の作文では、上野村に飛行機が落ちて悲しかった、このようなことは二度とあってはならない、とありました。


このような地元の方々のお話は

意外と紹介されておりませんでした。

もっと紹介しても良いと思いました。

なぜなら、いつも静かな平和な山の村で突然発生した航空機事故に対し

村民やその周辺の方々が他人事として無視したわけではなく

夜を徹して救助に尽力したからです。


まだ時間があったので、

2号くんと一緒に、山道へ。

御巣鷹山展望台が気になり、行ってきました。


初めての道だったのと、予想以上の悪路で

道は狭いわ

行き違いで衝突寸前になるわ

カーブの向こうの反対車線から来たバイクがうちの車にビビってちょっとバランス崩すわ(幸い転倒事故にならず)

道が時々ぼこぼこで

待避所がないと行き違いがとても大変な道で。。。

ここで言うことを聞かないと怖い山を登るぞーって2号くんに言おうと思ったら


寝ていましたアセアセアセアセアセアセ


むしろ逆に私が試練を受けた感じアセアセアセアセアセアセ


御巣鷹山展望台に着きました。


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