友人Aから、恋人とのことで
相談が来た。
恋人が友人Aの態度や言葉などから
もう別れたいと言っているとのこと。
その友人AはSNS上の恋人とのやりとりを送ってきた
その上で、「どうして私が悪いのかわからないの。
悪いところを直したいから教えて」
と言う。
そのやり取り自体は、恋人が一方的に友人Aをまくしたてる内容だった。
正直、友人Aが気持ち悪いと思った。
友人Aが被害者のように捉えられるよう、
SNSの断片的なやり取りを見せてきて、
『私は被害者なの。
優しいあなたなら、
‟友人Aは悪くないよ。悪いのは恋人だよ”って言ってくれるよね』
っといった期待、願望、そういったものが感じられたからだ。
結局、私は曖昧な返事をした。
私は、人から『こういってほしい』と期待されたり強制されるのは好まない。
そう言っている割に、私は人に『優しい人』と見てほしいと思っている。
これも、人への期待と強制だ。
そして、ここに2つの自分の思い込みがある
①『私は優しい人とみられたい』と言う思い込み
➁優しい人は、相手にキツイことを言わないという思い込み
①について書くと、私は優しくない
っというか、はっきりいって、私は周囲にそんな興味がない。
私は自分が第一で、正直家族以外の人はどうでもいいと思っている。
みんなそれぞれのストーリーの中で、夫々の方法で
人生を楽しんでいる
私が仮に本気になって忠告しても、
相手は自分のストーリーにあうようにしか、解釈しないからだ
いつしか、「人生は自己満足なのだ。だから、夫々の方法で
自分の人生を思いっきり生きればいいのだ」
と思うようになってきた。
その結果、人にどうこうしようとか、私がなんとかしなきゃとか、
そういう興味関心がわかないのだ。
ただ、愛する瞬間は最高に気持ちがいい。
子どもでも、夫でも。
その愛の瞬間に自分が浸っていたいだけなのだ。
➁については、もうわかりきったことだが、
優しい=甘いことしか言わないというのは間違いだ
本当に親身になって、自分のことのように捉えている人は
幸せを願うあまり、内容がきついことも言うだろう
‟優しい人は厳しいことを言わない”という
まさに気持ち悪い信念が自分の中にあるのだ。
この二つに気がついた時、
気持ち悪いのは友人Aではなく、
まさにこの信念を自分が持っていたことだったのだと思った。
まじでキモイと思う。
こんな信念を持っていたなんて。
早く、春分まえにこの信念を手放そうと思ったのでした。
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