テレビアニメを見ていた子どもが
「ママ、お茶持ってきて」と言ってきた。
「自分でやんなさい」というと、
「ママ、大っ嫌い」。
かチーンと来たので、
「本当に、そういうこと言われるの嫌なんだけど。
嫌われている人の食事や洗濯とかしたくないから、
あなたのだけしないよ」
と言った。子どもは反省してくれた。
ただ、このことを通して、私は自分の本音に気づかされた。
実は私はもっと自由にやっていたい。
夫や娘にもっと家事をやってもらいたいし、
本当は自分の好きなことだけをしていたい。
昨日なんて、外から帰ってきたら
夫と娘はゲームをしてゆっくりしているのに、
自分は夕食に洗濯物に、片付けにっと頑張りすぎていた。
「本当はもっと自由にやりたいことをやりたい」
心の底にある叫びを無視して、無理をして頑張っていた。
なんのため?
『仲の良い家族』であるためだ
手作りの料理、家族で楽しい時間、
家族間の豊かなコミュニケーション
そのために家族のために尽くすのが母親と
犠牲を強いる思い込みを持っていた
でも、そんなの嘘っぱちだ
だって、一人が我慢してなりたつのであれば、
そんなの犠牲の上で成り立っていて、
他の人達はそれを無意識も含めて強制しているからだ
「仲の良い家族が理想的。母親は家族に尽くす」と社会に刷り込まれた奴隷制度だと思う
外面や、仲の良い家族という拘りを捨て、
お互い、気持ちが余裕があったり、共有したいときに、
その場を共有すればいいのだ
誰かの犠牲の上に成り立つ「仲の良い家族」なんて
いらないとそう思う。
その大本に自分はもっと自分のしたいことを
大切にしていいのだと本当にそう感じた。
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