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  わたしが、オーラソーマの本の中で一番大切にしたいのは、
  創始者のヴィッキー・ウォールの自伝
  「オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング」です。
  この本の初めに書いていることばです。  
  
  「そっと歩んでください、友よ。あなたの歩むのは、私という人生の
   織物の上なのですから。目もあやな縦糸と横糸によって、
   時の初めから、繰り返し繰り返し演じられてきた美しいドラマ、
   必然へと運命づけられ、やがて明かされる目的へと進んでいく、
   その歩みの織り成す見事な模様の上を歩むのですから」
 
  わたしは、この言葉を読むとき、ヴィッキーの人生を
  汚さないように、痛めないように、と思います。
  それはとても大変な道のりですが、
  わたしにとって、オーラソーマとの出会いが
  まるで長い間見えることを願った、
  「聖杯」との出会いに思えるからです。
   
  一ヶ月の、イギリスのサマーイングリッシュコースでわたしは、
  ある日「聖杯物語」に出会い、それにこころを奪われました。
  「聖杯」がわたしにイギリス留学を決意させ、
  2年間、「聖杯物語」の探求に浸りました。
  わたしはなぜ、聖杯伝説に惹かれたのか?
  わたしの出した答えは、「聖杯」というアイデアは
  決定的に、他の物質との出会いと違うところです。
 
  「アーサー王と円卓の騎士」の物語の中で、
    アーサー王は、騎士たちに「聖杯」を探すことを命令します。
   ほとんどの騎士は聖杯で出会えず、放浪の旅を続けることを余儀なくされます。
  「聖杯」を見ることができた騎士は、類まれな魂の持ち主でした。

   これらの物語から、わたしがわかったことは、  
  「聖杯」は、探して見つけるものではなく、
  「聖杯」が、それにふさわしいものを見いだしてくれるということです。
  「聖杯」は、「聖杯」自身が自分にふさわしいものに対して
   自分の姿を明らかにするということを、発見したのです。

   オーラソーマは、20世紀の終わりに生まれるときがきていました。
   自分が姿を現わせるように、ふさわしい人間を探していました。
   そしてヴィッキーは、その生い立ちや臨死体験などの、さまざまな試練を
   克服することで、それにふさわしい人へと成長していったのです。
   オーラソーマは、ヴィッキーがその準備を整えたことを知りました。
   このとき、ヴィッキーは60歳を超え、盲目になっていました。
   オーラソーマは、ヴィッキーを見出し、メッセージを送りました。
   そのメッセージを疑っていたヴィッキーも、受け取った3回目のある夜、
   「別の手が自分を導き」、勝手に動いた手から何かが生まれたのを体験します。
   そのとき何が自分に起こったかを、盲目の彼女は全く知りませんでした。
   やがてそれは時を経るごとに、意味や目的がゆっくりと明かされ、
   そのボトルに、オーラソーマという名前がつけられます。
 
   「聖杯がそのひとを見出す」というわたしのアイデアからすると、
   ヴィッキーの自伝は、「オーラソーマ版・聖杯物語」ではないでしょうか?
 
   わたしは今日、このアイデアを再確認し、イギリス留学をとおして祈った、
   大きな夢を、ひとつ実現したことに気づいたのです。その夢とは、
   アーサー王の騎士たちのように「聖杯」を見ることでした。

   2年間のイギリス留学の最後に、わたしは2時間にわたって、
  「聖杯」についての研究を発表しました。けれどもそのときは、
   まだわたしの「聖杯」へのイメージは、明確ではありませんでした。
   そのときの発表は、コースリーダーの先生の助言で支えられていました。
   しかし今、オーラソーマとの出会いによって
   わたしは、自分の「聖杯」のアイデアを明確にできたのです。

   それはベストセラー「ダヴィンチ コード」の「聖杯」とも
   ちがいます。わたしが、見出した「聖杯」なのです。  

  ☆~☆~書かないと自分の考えていることがわからない自分(>-<)
    目覚めていない自分が情けなくて、かなり落ち込みました!
      しかし3回目の書き直しを経て、
      オーラソーマと自分との出会い、イギリスでの日々が
      すこし明確になったのを感じます。一歩だけ前進しました。