有難い存在だけど安らげる存在ではない

今母のことをどう感じているかと聞かれたらこう答える。
 

二ヶ月前に私は生後二日の次女を亡くした。


そして今母娘関係に綻びが出ている。

綻びのきっかけは、沖縄旅行だった。
私が長女のために八月末に沖縄行きを計画して

予約したことから始まった。


予約確定の数日前に

母にも旅行の計画をしていることは伝えていたし
今回は主人と娘と三人で行きたかった。

 

それなのに孫娘から沖縄旅行の話を聞いた母は
「私だけ家族と思われていない」

というような気持ちを孫娘に伝えた。

 

そこから私と母のやりとりが始まるわけだけれど
私にとっては全てが重荷だった。


正直いえば、母は私の感情に寄り添えない人だ。
一般的に娘がこういう状態にあったら

母がとるであろう行動や受け入れの度量は一切ない。

 

そんな母に私が感情を打ち明けることはしないし、話したくもない。

だって無駄だから。
それは私の本音だ。

 

おなかの赤ちゃんに疾患と余命宣告された後も
私は母から労いや励ましの言葉を受けたことはない。


昔っからそうだった。

母は感情を表現することができない人だ。
心配しているのはわかる。
だけどそれだけなのだ。

 

もし今同居じゃなかったら、連絡していなかっただろう。
やりとりすらしたくなかったから。

 

生まれたばかりの次女を見ても

可愛いと言わなかったことを私は知っている。


母には感情の表現が乏しい
そういう人だ

 

赤ちゃんが亡くなった日
母は少しだけ泣いていたと思う
 

だけどその日の夜、母は前々から約束をしていた会合に出かけた
40年ぶりに会う従兄弟だそう
恐らく娘が産んだばかりの孫が亡くなった日に会食に来てるなんて従兄弟たちも知らないだろう笑
 

母曰く

「家で一人でいたら気が滅入りそうだった」

 

感情の表現は人それぞれだ
 

この歳になって

私自身も両親に期待することはほぼなくなった

 

母のことは愛している。
それは幼かった頃の自分の気持ちを思い出してもそれしかない。
それが本心だ。

だけど何年もかけて嫌いになってしまったんだ。
自分でもそれを認めたくなかっただけ。

 

私が本当に辛い時に寄り添ってくれない母
なんの言葉もかけられない母
私が産むという選択をしたときも応援する言葉すら出ない母
やってもらって当たり前と思う母
それなのに優しさを求める母

 

私は愛されていないのだろうかと

悩んだ時期もあったけれど

それ自体は私自身が長女を産んだことで解消された


母が孫を可愛がっている姿を見て

「きっと私もこうやって愛されたんだろう」と思えたから

言葉がなくてもそれでいいとその時は思えたから
 

次女を授かった時も

もしかしたら母が喜んでくれるかなと思った
自分自身の願いの中にほんの少しそういう気持ちもあった

 

母は第二子ができたことを喜んでくれた
だけどその子に疾患があることがすぐにわかって

きっと母の中ではまた気持ちが変わってしまったかもしれない
 

私にはそれすらもわからない
この子のことをどう思ったのか

 

わからない人


でもそれでもいいやと思えた

私は私の人生を進むしかない
母の人生までは背負えない

 

母に笑ってほしいと願う気持ち
母に幸せでいてほしいと願う気持ち
それはきっとどんな娘も持っていたはず
 

その願いが叶えられなくて
どれほどの娘が人知れず傷ついて
どれほどの娘が涙したか

 

かくいう母も娘だったはずなのに
その痛みが分からなくなってしまうのは
きっと歳をとったせいなのだろう