今回のブログでは、最近知誠館にやってきた生徒のエピソードを紹介しようと思います。
小学校の6年生の時から学校へ行けなくなり、中学生になって行き始めたもののゴールデンウィーク明けには再び学校へ行けなくなった義男君。
そんな彼が、最近知誠館にやってきました。
1週間の体験期間を経て彼がお母さんに語ったコトバ。
それが
「人生に20%の光が差してきたわ...。」
だったんです。
教育は本来、いかなる時も人に希望を与えるものです。
このエピソードから、ブラジルの教育者、パウロ・フレイレの実践が思い浮かびます。
フレイレは、社会的に追いやられた人々に希望の光を与えるのは、教育しかないという思いで、識字教育を展開したのです。
1年余り、自宅で過ごしていた義男君でしたが、その間、彼が自分の将来に希望を感じることができなかったのかもしれません。
若干、12才の少年が希望を見いだせなくなってくというのは、一体どういうことなのでしょうか?
義男君の家から知誠館までは、電車を2本、そしてバスに乗らないといけません。
全行程は、1時間半。
でも、あれだけ家から出られなくなっていたのに、何食わぬ顔で、義男君は知誠館へとやってきたのです。
20%の希望…。
この希望は彼に勇気を与えてくれたのでしょうね。
たとえそれが、かすかな光であっても、少年の心を揺さぶり、その行動を変化させていくには
十分なものだったのかもしれません。
とにかく義男君は、動き始めたのです。
一歩ずつですが、かすかな光に向かって歩き始めたのです。
先日も私は、ある会議でこんなことを話しました。
教育の現場には、必ず入り口と出口があります。
「こんにちは」の入学から始まり、「さようなら」の出口で終わる。
そのわずかの間に、どれほどの変容が生まれるかがすべてです。
そしてその点が、「教育の場」と「居場所」との違いだと思うのです。
様々な状況に苦しむ目の前の子に対して、何ができるのか?
すべてはそこからしか始まらないのです。
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