ひとつの物語をみんなで読み込んだり、ひとつのテーマについてみんなで考えたり、自分の意見を論理的に述べたり…
学校の授業とは少し違った形式の講座になっています。
最近はひとつのテーマについて議論したり、数学的な考え方をしてみたりと、色んなことに挑戦していたのですが
前回から、「物語を読む」ということを再びやってみようということになりました。


読んでいたのは、太宰治の『トカトントン』という作品です。
晩年の太宰の作品なのですが、これがまた1回読んだだけではなかなか理解できない作品でした…。
というか、しっかりと太宰の作品を読んだのはこれが初めてだと思います。
なぜなら私は、「自分は人間失格だ…」と思って『人間失格』を読み始め、難しいから途中でやめた新の人間失格野郎なのですから!!
自虐はこれくらいにして、講座の内容で面白かったところを紹介したいと思います。
この講座では、みんなでひとつの物語を読んで、この物語の真意は何か?を考えています。
それは言い換えれば、作者はこの物語を通して何を伝えたいのか?を考えるということです。
「物語の中で、こういう記述があるから、私はこう解釈できると思う」
という具合に、意見を交換するのですが
その時に出てくる読み方のことを、その講座では「主観的読み」と呼んでいます。
この「主観的読み」が
①前回と今回で真逆になったこと
②変化するものが当初と違っていること
が非常に面白かったです。
まず、①について。
前回読んだときには、自分の中で「これってこうちゃうか?」という仮説ができ、それに基づいて真意を考えると、まぁまぁ筋の通る説明になっていたんです
しかし!
なんか今回読んだときには、これで納得がいかないというか…
わかるんやけど、今の自分はそれを許せないというか…
なんかひっかかるというか…
とにかく、前回の読みでは嫌だったのが面白いなぁと思ったんです!
何かこう今の自分の心境とか考えていることが「主観的読み」に反映されている感じがドキッとしました。
それで、新しい解釈を考えるのですが、それもまた難しい。
この物語の形式、出版されたときの時代背景、誰に向けてこの作品を書いたのか・・・
色々な角度からみんなで考えましたが、モヤモヤは残ります。
まぁ、色んな角度からみんなで考える、その意見を聞くからこそ、また自分の「主観的読み」が変化するというところも面白いんですけどね。
もしかしたら私は、物語を通して今や過去の自分が見えてくるという体験を面白いと思う傾向が強いのかもしれません。
そのことがわかったのが、今回の面白いポイントのひとつです。
次に②について。
「思考」のワークショップが始まった当初、学校の国語の授業しか受けたことがなかったので、読み方はひとつしかないものだと思っていました。
しかし、回を重ねるごとに「あ、こういう読み方もありなんや」とか「もっと違う角度から読んでみよう」と思うようになったんです。
それは先述したように、自分の「主観的読み」が誰かの「主観的読み」によって変容していく楽しさを知ったからに他なりません。
しかし、今回の変化の仕方は、そういった自分の中で蓄積された「読み方」が変わるのではなく、純粋に「主観的読み」が変わったように思います。
言い換えれば、自分の中で「こうしなければならない」と思っていたことが変わったのではなくて、「こうなんじゃないか」と思っていたことが変わったんです。
なんや、ふつうのことやないか!
そう思われた方もいるかもしれませんが、これが結構私の中では大きい出来事だったんです。
少しずつ、少しずつ自分も生徒たちと一緒に変わっているのかもしれません。
それが、何もセミナーに行ったり、修行したりするのではなく、みんなで「物語を読む」ということを通してできてきたのが面白いなぁと思いました。
また、地道に更新していければと思います。
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