11月4日に、第6回の森の学び場が開催されました。
テーマは、「若者の社会包摂と学び直し」。
ゲストは、神戸国際大学の居神先生でした。
当日は、京都女子大学、立命館大学の先生をはじめ、知誠館のスタッフ、保護者、卒業生、マスコミ関係者と15名の参加がありました。
今日はこの時の学び場について振り返って考えたことを、お伝えしたいと思います。
それは、ある参加者の方から投げかけられた質問からはじまりました。
─不登校の子どもたちが、変容する。でもそれは、支援者によって変容させられたってことにならないでしょうか?
つまり能動的であるように見えているけれど、気が付けば受動的になってしまう。
「乗せられた」って感覚。
そんなことってないでしょうか?
このことは、私たちがいつも考えていることでした。
不登校の子どもたちが、ただ受動的に支援を受けるんじゃなくて、ただ居場所の中にとどまるんじゃなくて、能動的に自分の人生を再スタートさせる。
そのためには、彼らの主体性がいつも問われるわけですが…。
その主体性をどうやって培っていくのか?
質問にあったように、与えられるだけでは、彼らは受け身になってしまう…。
自分から自分の人生を切り拓いていけるだけの強さが生まれてこない…。
でも何も提供しなければ、何も始まっていかない…。
そんなジレンマがいつもありました。
気が付けば、私はこんな風な意見を返していました。
変容は確率論で考えるべきだと思います。こちらが用意したゴールに向かって子どもたちが歩んでいくわけではありません。
ゴールなんて最初から決まるわけでもないですし、彼らが知誠館を卒業する際に決まっているとも限りません。
ゴールは、彼らが人生のどこかの段階で一旦決め、そしてまたどこかの段階でそれを更新していくものだと思います。
知誠館で子どもたちは、様々な変容を経験します。
家からほとんど出ることさえできなかった子どもが、自分たちで学習会を企画できるようにまでなっていくこともあります。
そしてその経験が、彼らの未来を作り出していくように思うのです。
私たちが「本質的な経験」と呼ぶ経験を手に入れた子どもたちは、どこかでその経験を足掛かりとして困難を乗り越えていくように思うのです。
繰り返しになりますが…
私たちは子どもたちの人生のゴールを決めることはできません。
ゴールは、いつも彼ら自身が決めるのです。
ただ私たちのできることは、そんな彼らがゴールを作り出し、それをどんどん更新できるような変容を生み出すであろう「本質的な経験」を、彼らと共に過ごす時間軸の中で実現することなんだと思います。
結果を規定するんじゃなくて、そういった変容の経験が起こりうる可能性を模索する。
つまりそれは、確率論の世界なんです。
今までの教育は、どこかに理想の生徒像が用意されていました。
理想の生徒は、一生懸命勉強していい大学に入学し、さらにいい会社に就職して幸せな人生を歩むはずだったんです。
でも今の社会においては、そんな理想はもはや通用しなくなりました。
何が幸せかさえ見えにくくなってしまったわけです。
そうなると自分でその答えを見つける必要が出てくる。
何が幸せなのかを考える必要が出てくる。
どう生きていくのかを考える主体性が必要となるわけです。
そしてその主体性は、決して与えられた環境の中では育たない。
自分で育てるしかないのです。
でもその一方で、主体性をもぎ取られた子どもたちがいます。
これは不登校の子どもに限った話ではありません。
学校へ通う多くの子どもたちも同じです。
主体性をもぎ取られた子どもたちが
いかにすれば自分の主体性を育てられるのか?
まさに、ここが教育課題の肝なんだと思います。
キーワードは「確率論」
彼らが自分たちの答えを見いだせる可能性をいかに向上させうるのか?
この問いを満たす環境を作り出すことが、とても大事になってくるように思うのです。
変容を促す場の構成と、それが押し付けになっていないかと検証する動き。
その両者の機能こそが変容機会の確率を高めていくのだと思います。
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