出來るだけ勞力を節約したいと云ふ願望から出て來る種々の發明とか器械力とか云ふ方面と、出來るだけ氣儘に勢力を費したいと云ふ娯樂の方面、是が經となり緯となり千變萬化錯綜して現今の樣に混亂した開化と云ふ不可思議な現象が出來るのであります。元來何故人間が開化の流れに沿うて、以上二種の活力を發現しつゝ今日に及んだかと云へば生れながらさう云ふ傾向を有つて居ると答へるより外に仕方がない。

して見れば古來何千年の勞力と歳月を擧げて漸くの事現代の位置迄進んで來たのであるからして、苟くも此二種類の活力が上代から今に至る長い時間に工夫して得た結果として昔よりも生活が樂になつてゐなければならない筈であります。けれども實際は何うか? 打明けて申せば御互の生活は甚だ苦しい。昔の人に對して一歩も讓らざる苦痛の下に生活してゐるのだと云ふ自覺が御互にある。否開化が進めば進む程競爭が益劇しくなつて生活は愈困難になるやうな氣がする。

今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越してゐる。それが變化して寧ろ生きるか生きるかと云ふ競爭になつて仕舞つたのであります。生きるか生きるかと云ふのは可笑しうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないといふ意味であります。

通俗の言葉で云へば人間が贅澤になる。道學者は倫理的の立場から始終奢侈を戒しめてゐる。結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるから何時でも駄目に終るといふ事は昔から今日迄人間がどの位贅澤になつたか考へて見れば分る話である。
 
是程娯樂の種類や範圍が擴大されても全く其有難味が分らなかつたりする以上は苦痛の上に非常といふ字を附加しても好いかも知れません。是が開化の産んだ一大パラドツクスだと私は考へるのであります
これから日本の開化に移るのですが、果して一般的の開化がそんなものであるならば、日本の開化も開化の一種だからそれで宜からうぢやないかで此講演は濟んで仕舞ふ譯であります。が其處に一種特別な事情があつて、日本の開化はさういかない。
西洋の開化(即ち一般の開化)は内發的であつて、日本の現代の開化は外發的である。
西洋の開化は行雲流水の如く自然に働いてゐるが、御維新後外國と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違ひます。勿論何處の國だつて隣づき合がある以上は其影響を受けるのが勿論の事だから吾日本と雖も昔からさう超然として只自分丈の活力で發展した譯ではない。
日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。又曲折しなければならない程の衝撃を受けたのであります。之を前の言葉で表現しますと、今迄内發的に展開して來たのが、急に自己本位の能力を失つて外から無理押しに押されて否應(いやおう)なしに其云ふ通りにしなければ立ち行かないといふ有樣になつたのであります。

我々が内發的に展開して十の複雜の程度に開化を漕ぎつけた折も折、圖らざる天の一方から急に二十三十の複雜の程度に進んだ開化が現はれて俄然として我等に打つて懸つたのである。此壓迫によつて吾人は已を得ず不自然な發展を餘儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくつて、やッと氣合を懸けてはぴよいぴよいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る餘裕を有たないから、出來る丈大きな針でぼつぼつ縫つて過ぎるのである。足の地面に觸れる所は十尺を通過するうちに僅か一尺位なもので他の九尺は通らないのと一般である


物を一寸見るのにも、見て是が何であるかと云ふことがハツキリ分るには或る時間を要するので、即ち意識が下の方から一定の時間を經て頂點へ上つて來てハツキリして、あゝ是だなと思ふ時がくる。それを見詰めて居ると今度は視覺が鈍くなつて多少ぼんやりし始めるのだから一旦上の方へ向いた意識の方向が又下の方を向いて暗くなり懸ける
 
本を讀むにしてもAと云ふ言葉とBと云ふ言葉と夫からCと云ふ言葉が順々に竝んで居れば此三つの言葉を順々に理解して行くのが當り前だからAが明かに頭に映る時はBはまだ意識に上らない。Bが意識の舞臺に上り始める時にはもうAの方は薄ぼんやりして段々識域の方に近づいてくる。BからCへ移るときは是と同じ所作を繰返すに過ぎないのだから、いくら例を長くしても同じ事であります
 
此解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社會の集合意識にも、夫から又一日一月もしくは一年乃至十年の間の意識にも應用の利く解剖で、其特色は多人數になつたつて、長時間に亙つたつて、一向變りはない事と私は信じてゐるのであります

日本人總體の集合意識は過去四五年前には日露戰爭の意識丈になり切つて居りました。其後日英同盟の意識で占領された時代もあります。斯く推論の結果心理學者の解剖を擴張して集合の意識や又長時間の意識の上に應用して考へて見ますと、人間活力の發展の經路たる開化といふものの動くラインも亦波動を描いて弧線を幾個(いくつ)も幾個も繋ぎ合せて進んで行くと云はなければなりません 
一言にして云へば開化の推移はどうしても内發的でなければ嘘だと申上げたいのであります。日本の開化は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出すやうに内發的に進んでゐるかと云ふのが當面の問題なのですが殘念ながらさう行つて居ないので困るのです。


新らしい波は兎に角、今しがた漸くの思で脱却した舊い波の特質やら眞相やらも辨へるひまのないうちにもう棄てなければならなくなつて仕舞つた。食膳に向つて皿の數を味ひ盡す所(どころ)か元來どんな御馳走が出たかハツキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを竝べられたと同じ事であります。斯う云ふ開化の影響を受ける國民はどこかに空虚の感がなければなりません。又どこかに不滿と不安の念を懷かなければなりません夫を恰も此開化が内發的でゞもあるかの如き顔をして得意でゐる人のあるのは宜しくない。それは餘程ハイカラです、宜しくない。虚僞でもある。輕薄でもある。自分はまだ煙草を喫(す)つても碌に味さへ分らない子供の癖に、煙草を喫つてさも旨さうな風をしたら生意氣でせう夫を敢てしなければ立ち行かない日本人は隨分悲酸な國民と云はなければならない


開化の名は下せないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見ても一寸氣が付くでせう。西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくとも宜いと云へば夫迄であるが、情けないかな交際しなければ居られないのが日本の現状でありませう。而して強いものと交際すれば、どうしても己を棄てゝ先方の習慣に從はなければならなくなる
 
我々があの人は肉刺(フオーク)の持ち樣も知らないとか小刀ナイフ)の持ち樣も心得ないとか何とか云つて、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、たゞ西洋人が我々より強いからである我々の方が強ければ彼方に此方の眞似をさせて主客の位地を易へるのは容易の事である。がさう行かないから此方で先方の眞似をする。しかも自然天然に發展して來た風俗を急に變へる譯にいかぬから、たゞ器械的に西洋の禮式抔を覺えるより外に仕方がない自然と内に醱酵して釀された禮式でないから取つてつけた樣で甚だ見苦しい。是は開化ぢやない、開化の一端とも云へない程の些細な事であるが、さう云ふ些細な事に至るまで、我々の遣(や)つてゐる事は内發的でない、外發的である。是を一言にして云へば現代日本の開化は皮相上(うはすべ)りの開化であると云ふ事に歸着するのである
 


西洋で百年かゝつて漸く今日に發展した開化を日本人が十年に年期をつゞめて、しかも空虚の譏(そしり)を免かれるやうに、誰が見ても内發的であると認める樣な推移をやらうとすれば是亦由々しき結果に陷るのであります


眞と云ふものは、知らない中(うち)は知りたいけれども、知つてからは却つてアヽ知らない方が宜かつたと思ふ事が時々あります
 
日本の現代開化の眞相も此話と同樣で、分らないうちこそ研究もして見たいが、斯う露骨に其性質が分つて見ると却つて分らない昔の方が幸福であるといふ氣にもなります。兎に角私の解剖した事が本當の所だとすれば我々は日本の將來といふものに就てどうしても悲觀したくなるのであります。


ではどうして此急場(きふば)切り拔けるかと質問されても、前(ぜん)申した通り私には名案も何もない。只出來るだけ神經衰弱に罹らない程度に於て、内發的に變化して行くが好からうといふやうな體裁の好いことを言ふより外に仕方がない(にが)い眞實を臆面なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとひ一時間たりとも不快の念を與へたのは重々御詫を申し上げますが、又私の述べ來つた所も亦相當の論據と應分の思索の結果から出た生眞面目の意見であると云ふ點にも御同情になつて惡い所は大目に見て頂きたいのであります。

明治44、11、10『朝日講演集