お風呂に入った。髪の毛を洗っていてタイルにカビがついてるのが目についた。
汚いと思った。気持ち悪くて見たくないと思った。
でも、それを母は掃除している。
私が汚いと思って目をそむけている汚れを掃除しているのだ。
いつもいつも自分のことが汚い、みにくいと思っている。
自分は実はエゴでなくてわがままなのじゃないかと思った。
浴槽につかりながら、昨日先生の言ったことがずっと頭の中にあって離れない。
 
「これが現実、真実」何が一番頭から離れないか?
多分、汚い自分をみつめることをしないと、又は自分を分からないと、
自立しないと他人と接せないということだろうか。
自分は汚いと思う。きれいになりたいと思う。
でも実は汚いと本当は私は思ってないのかもしれない。
汚いと思っても見ていないのかもしれない。
汚いところは絶対にみたくないのだ。
そして、そういう本当に汚いところは母に掃除してもらいたいんだろう。
人まかせにしたいんだろう。
お風呂のタイルのかびをみて、そう思った。
 
さっき先生の言葉が離れないと書いたが、結局離れない先生の言ったことだって私が思いたい、
考えたいことだけしか頭に受け入れてないんだと思う。
私の中にあることに重なる、助けになる言葉だけを受け入れて先生が言った私が聞き入れなかった大切なことを
拒否して結局自分を甘やかしているんじゃないかと思う。
先生と対話している気になっているだけで私は結局、自己完結させているのではないかと思う。

昨日は対話というより私の言いたいことばかりを話して終わったのだろう。
とても気持ちがよくて一生懸命、先生に分かって分かって分かってと言っていた気がする。
そして先生がスポンジのように私の出したものを吸収してくれたような気がする。
「過去は過去、今は今。今は、今の自分で過去の自分でない。自分は変われる。」
葛藤だ。先生の言葉を聞き入れられるようになりたい。今、そう思う。」
                                                         2001.



「~しなきゃ。でも出来ない」
 
自分は変われると思う。先生の言葉を聞き入れられるようになりたい、そう思う。
一方で死にたいと思う。葛藤だ。
友人のメールに返事を返すことが出来ず、いや、面倒で返さず、
それ以来自分の中でメールの返事を返さなくては、謝らなくては、と追い詰める。
その積み重ねや、やらなくては解決しない事務的な用事。
片付ければすぐに終わる悩むことでもない、なんてことない事柄が私の面倒くさいという逃げからたまっていく。
やればすぐ終わる。解決するのに何だかこわくて逃げ続ける。死にたくなる。
思想や自分という一種の抽象的なことや「私の中」に逃げ込んでいる。
答えのあるやらねばいけないことから逃げて
答えのない自分では答えの出せないと分かっているものにあえて逃げてる。
ひたすら逃げる。きれいになりたいと思う。調子のいい話だ。都合のよい話だ。わがままだと思う。
それすら悲劇のヒロイン気取りなのかもしれない。葛藤だ。いや、甘えか?
この「死にたい」という気持ちが心地よいのだろうか?依存か?
人は変われるということは信じる。そう思う。
私は変わるのが怖いのか?何に依存すればいいのか分からなくて怖いのか?堂々巡りだ。
そういえば、先生が私みたいな人はたくさんいると言ってくれていた言葉は何だか嬉しかった。
親や彼に何度もうれしそうに、そう言っていた自分がいた。
                                                             2001.



 
この頃、メールも電話がかかってくるのも怖かった。
電話がかかってくるだけで絶望感に落ち込んだ。
手を伸ばせば電話に出れるのに通話ボタンを押すのが怖くて
無視し続け、それが罪悪感になり、そのうち友人みんなから嫌われて見捨てられるんじゃないかと不安になり、
それを想像して、この世の終わりみたいな気分になり、
だけど電話をかけることも出来なかった。
電話しなきゃという気持ちはあるんだけど、まさか無視したなんて相手に言えるわけなく、
電話に出なかった言い訳を作らねばいけない、とか、
遊びに誘われたら誘いを断ることが出来ない私は無理やり誘いに乗るか、
相手に嫌な思いをさせないような断る言い訳を必死に考えなくてはいけない、とか、
その場合、言い訳に使った嘘を覚えてないといけない、とか、
相手は、私(ヒロ)は遊びたいけど、その日は用事があって(私の嘘)ダメだったんだから
別の日なら大丈夫かと思って、また誘ってくるかもしれないから、遊びたくない私はまた嘘をつかねばいけない、とか、延々と考え考え、他人に電話一本することが憂鬱で、無駄な気力を要するため、とてもしんどかった。
電話をしないにしても、無視していることで嫌われたらどうしようかとまた気分が落ち込む。
なんにしても落ち込みっぱなしだ。
 
 
「誘いは断わってはいけない。無視してはいけない。
嘘はついてはいけない。相手を傷つけることはしてはいけない。」という考えでずっと育ってきて、
学生時代までは、とりあえずその考え方で済まされていたことが、男性への二股をきっかけに、
社会に出てから私にとってのタブー事ばかりすることとなり、こんなことばかりしている私は汚いし
生きていても価値ないし、消えたいといった悪循環の考え方だった。
ちょっとしたことで、自ら不安感を倍増させていっていた。
 
そして、人と話すことが苦痛だった。かといって一人でいることも苦痛だった。
見捨てられるのが怖かった。
人が怖いと思いながら私に必要なものは人だった。
誰かそばにいてくれないとやっていけない、そんな感じだった。

                          
                                                          2004年4月