私は、それなりにそのときそのときで誠実に接しているつもりだ。
だけど、時に私が相手の思い通りの行動をとらないときに
「裏切られた」という想いを伝えられることがある。
そして私は「そういうつもりではない」と伝えると、
ときに「そうでしたか。思い込みでした。すみません」とお返事を下さる方もいれば
そのまま「裏切られた」と信じて疑わないままになる場合もある。
どちらにしても自分の発言に対して
相手にふみにじられたという思いはあったけど
自分の発言が相手の想いを踏みにじったとは自覚していなかったりする。
私はもう、いちいち弁解したり、そういったところを
あーだこーだ相手に言ったりはしないけど
「相手から自分の気持ちを裏切られた」という思いを持ちやすい人のほうが
より相手の気持ちを平気でふみにじっている場合が多いような気がする。
自分の希望が叶わないことと、
気持ちを踏みにじられることを思い違いをしてしまうからだろうか。
自分のとった行動が相手を傷つけている場合もあるだろう。
それはこちらが傷つけようと思ってとっている行動でない以上、仕方ない。
相手がどんなことに傷つくかなんて考えて行動していたら
身動きがとれなくなる。
相手が傷ついたとしても、ソレは仕方ない。
やっかいなのは、自分は相手から傷つけられることはあっても
自分は決して相手を傷つけることはないし、傷つけたこともない、と
思い込んでいる人たちだ。
お互い様だと思えないだけに、自分が傷ついたときに
より一層の被害妄想を生み、自分が痛んでいるのは相手のせいだとばかりに
他人への恨みが強くなってしまう。
そしてそれを抑え込む。
※ただ、ロマンチックな自分の世界の中で、
勝手に「私がこんなことしたから相手は傷ついてしまったんだわ」
という罪悪感はあるものの、実際の世界での自分の行動や発言には無頓着なんである。
「町を歩いていて、ジャマなところにいたから、
多分人に迷惑かけちゃったのーー」と、勝手な妄想から泣いて泣いて泣いて、
私の枕が涙と鼻水だらけになり、「あー、ざんげしてすっきりした!」と彼女が帰ったあと
その枕カバーを私が洗うはめになるなど、まったく気にしてないんである。
それこそ、現実的な迷惑とはこういうことだと気づかないのだ。
うちの妹だ。(そしてかつての私だ)
私が勝手に傷つくのは自分でなんとでもできるからいいんだけど
私はどこかで希望している。
「自分のとる行動に対して、ある程度自覚してほしい」
自覚していないので、極端に自分の都合が悪い状態になると
倒れるんである。
それは無意識の作為だ。
そのことに妹は気づこうとしないけど。
それは今の自分にも言える。
たとえば保身のために相手を試すことがある私だ。
そういうときには、正論の言い訳をたてて人を試すのでなく
せめて「自分が傷つきたくないだけのために相手を試すのだ」と自覚して
相手を試したいと思う。
妹よ、そういうことです。
宝くじは当たるか分かりませんが、
とりあえず私が買っておきます。
当たらなかったといって私のせいにしないでね。
自分が私に託したという自覚をどうぞお持ちになってちょうだいよ!
だけど、時に私が相手の思い通りの行動をとらないときに
「裏切られた」という想いを伝えられることがある。
そして私は「そういうつもりではない」と伝えると、
ときに「そうでしたか。思い込みでした。すみません」とお返事を下さる方もいれば
そのまま「裏切られた」と信じて疑わないままになる場合もある。
どちらにしても自分の発言に対して
相手にふみにじられたという思いはあったけど
自分の発言が相手の想いを踏みにじったとは自覚していなかったりする。
私はもう、いちいち弁解したり、そういったところを
あーだこーだ相手に言ったりはしないけど
「相手から自分の気持ちを裏切られた」という思いを持ちやすい人のほうが
より相手の気持ちを平気でふみにじっている場合が多いような気がする。
自分の希望が叶わないことと、
気持ちを踏みにじられることを思い違いをしてしまうからだろうか。
自分のとった行動が相手を傷つけている場合もあるだろう。
それはこちらが傷つけようと思ってとっている行動でない以上、仕方ない。
相手がどんなことに傷つくかなんて考えて行動していたら
身動きがとれなくなる。
相手が傷ついたとしても、ソレは仕方ない。
やっかいなのは、自分は相手から傷つけられることはあっても
自分は決して相手を傷つけることはないし、傷つけたこともない、と
思い込んでいる人たちだ。
お互い様だと思えないだけに、自分が傷ついたときに
より一層の被害妄想を生み、自分が痛んでいるのは相手のせいだとばかりに
他人への恨みが強くなってしまう。
そしてそれを抑え込む。
※ただ、ロマンチックな自分の世界の中で、
勝手に「私がこんなことしたから相手は傷ついてしまったんだわ」
という罪悪感はあるものの、実際の世界での自分の行動や発言には無頓着なんである。
「町を歩いていて、ジャマなところにいたから、
多分人に迷惑かけちゃったのーー」と、勝手な妄想から泣いて泣いて泣いて、
私の枕が涙と鼻水だらけになり、「あー、ざんげしてすっきりした!」と彼女が帰ったあと
その枕カバーを私が洗うはめになるなど、まったく気にしてないんである。
それこそ、現実的な迷惑とはこういうことだと気づかないのだ。
うちの妹だ。(そしてかつての私だ)
私が勝手に傷つくのは自分でなんとでもできるからいいんだけど
私はどこかで希望している。
「自分のとる行動に対して、ある程度自覚してほしい」
自覚していないので、極端に自分の都合が悪い状態になると
倒れるんである。
それは無意識の作為だ。
そのことに妹は気づこうとしないけど。
それは今の自分にも言える。
たとえば保身のために相手を試すことがある私だ。
そういうときには、正論の言い訳をたてて人を試すのでなく
せめて「自分が傷つきたくないだけのために相手を試すのだ」と自覚して
相手を試したいと思う。
妹よ、そういうことです。
宝くじは当たるか分かりませんが、
とりあえず私が買っておきます。
当たらなかったといって私のせいにしないでね。
自分が私に託したという自覚をどうぞお持ちになってちょうだいよ!