ヨハネによる福音

〔そのとき、イエスは言われた。〕10・11「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。(狼は羊を奪い、また追い散らす。)13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

 

 第一朗読は「使徒言行録」が継続朗読されます。ペトロは「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と宣言します。ペトロが語りかける相手はユダヤ人の議員と長老ですから、彼らに対してはこの宣言は、メシアを待ち望む人々が救われるべき名はイエス・キリストしかあり得ないという力強い宣言です。

しかし、そのメッセージを現代社会の多民族、多宗教の現実の中で、どのように受けとめたらいいのでしょうか。

 

 第二朗読は「使徒ヨハネの手紙」です。使徒ヨハネが手紙を送った教会はイエス・キリストの理解をめぐって仲間割れが起こり、分裂していました。動揺する共同体の仲間たちに、この手紙の著者は「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。」と言います。わたしたちの理解は不完全ですが、御子が現れるときすべてが明らかになるのですから、忍耐してその日を待ち続ける必要があります。

 

 ヨハネ福音書第10章冒頭からイエスは羊とご自分との関係についてのたとえを話します。前半ではイエスはご自分を羊の門だと言います。後半ではご自分を良い羊飼いであると言います。

 

 今週の朗読箇所には「命を捨てる」という言葉が5回も現れます。今週の福音の中心は、イエスが「命を捨てる」ことです。「命を捨てる」とは、命を粗末にするというのではなく、大切な人のために、命をささげることです。ヨハネの手紙は「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです」(1ヨハ3:16)と説きます。イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」(ヨハネ15:11-14)と言いました。さらに、イエスは囲いに入っていない羊がいることを明らかにします。そして、イエスはその羊たちも導きます。そのことにより、すべての羊はやがて一つの群れになるとイエスは言います。

 

 

ひとこと

 今日は「世界召命祈願日」です。教会に司祭・修道者の召命が増えるように祈る日です。

 教皇フランシスコはこの日のメッセージの冒頭で次のように言います。

世界召命祈願の日には毎年、主が旅を続ける忠実な民一人ひとりにあてた、召し出しという尊いたまものについて考えるよう招かれます。わたしたちが主の愛の計画に加わり、福音のすばらしさを、さまざまなあり方の中で具現化するためにです。神の呼びかけに耳を傾けることは、宗教的理想の名のもとであったとしても、外部から課される義務とはまったくの別物で、むしろわたしたちの内にある幸福への望みをかき立てる、もっとも確かな方法です。わたしたちの人生に輪郭が与えられ、それが十全なものとなるのは、自分は何者なのか、どんな資質があるのか、どのような分野でそれを生かせるのか、どのような道を進めば、置かれた場にあって、愛、受容、美、平和のしるしとなり、道具となれるのかに気づけたときです。

 

 召命は司祭・修道者の召命だけのことではありません。

 召命は命に召されると読めます。わたしたちは自分で生まれてきたのではありません。神さまから命を授けられたのです。 

 

 召命は一人ひとりが、神さまの呼びかけに応えて生きることです。神さまは私たち一人ひとりを命に召して下さり、各自に使命を与えてくださっています。神さまから与えられた使命を果たすことができるよう共に祈りましょう。