叙階2年後、1984年にソウルに韓国語の勉強のために留学することになりました。

最初ソウル大司教館にステファノ金枢機卿を訪問したとき、彼は穏やかな日本語で、「延世大学語学堂で学ぶならバス一本で行けるカトリック神学院で生活してはどうですか」と訊きました。

わたしがせっかく韓国に来たので、小教区で生活して、小教区の様子も学びたいですと答えると、「わたしの同窓生のいる世宗路教会はどうですか」と提案してもらい、2年間、わたしの住む教会は、青瓦台近くの、世宗路教会になりました。

主任司祭のベネディクト崔神父様は、虎神父と呼ばれ、助任司祭が落ち着かず、4000人の教会を一人で司牧していました。ミサは日曜日に6回ありました。

子どものミサをするように言われ、初めてミサをしたとき、ミサ後子どもがやって来て、「神父様の日本語のミサは韓国語のようだね」と言いました。わたしは覚え立ての韓国語でミサをしたつもりが、参りました。

その後2年間この教会で多くのことを学びました。崔神父様は当時ソウル外国語大学でフランス語の講師も務められ、夜遅くまで翻訳など熱心に行われていました。

 

ある日のこと、崔神父様が、「太田神父、幸せに司祭生活を全うする秘訣を教えようか」と言うので、伺うと、

  1. 司祭としてしなければならないことを(好きではないかも知れないが)確実に行うこと。
  2. 余裕があれば、司祭として行ったら良いと思うことを行ってみる。
  3. さらに余裕があれば自分の行いたいことを行う。
 そして、この順番を入れ替えないことだと教えてくれました。ことし、8月神父様は神さまのみもとに召されました。若いときに良いメンターを与えられたことに心から感謝しています。