本日9月11日の第一朗読は使徒パウロのコリントの教会への手紙です。

 

「皆さん、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。」

 

叙階前に修士論文の準備で徹夜が続き、タバコとコーヒーの影響もあり、十二指腸潰瘍を発症し、神学院講師資格取得の試験に臨み、何とか合格し、1982年3月22日に名古屋教区司祭として相馬司教様から叙階を受けました。ちなみに最終試験の時、タバコが吸えなくなりました。それ以来、タバコとご縁がありません。

 

叙階式にあたって記念カードを作る慣習があります。選んだ聖書の言葉は「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇りにはなりません。わたしはそうせずにはいられないのです」という本日の第一朗読の言葉です。

 

生まれてから今まで、両親をはじめ、多くの恩人に巡り会い、叙階式を迎えるにあたり、パウロの言葉が耳に突き刺さりました。

 

このパウロの言葉を叙階25周年の時、畏友のデザイナーの方に「しおり」にして頂きました。またすこしまえ、葉書にもして頂きました。

 

己の規矩として、絶えずこのみ言葉に照らして自分を顧みようとして来ました。一宮教会での日々もこのみ言葉に導かれて生きようと決意しています。