Misericordia(ミゼリコルジア)

 ミゼリコルジアはポルトガル語で慈悲という意味です。コンフラリア・デ・ミゼリコルジアは慈悲の兄弟会といういみですが、キリシタンたちの間で組織されたコンフラリアは、組講といわれました。この講は隣人愛を実践するためのものであり、その世話役を慈悲役と呼んだことから後になって、キリシタンの爺役に変化したという説もあるようです。

 このミゼリコルジアの組には7つの身体的な慈善のわざと、7つの精神的な慈善のわざがありました。共に唱えるおらしょ(お祈り)とミゼリコルジアの組の活動が、宣教師もミサなどの秘跡もない迫害の時代の中でも信仰を絶やさなかった理由です。

 

○色身にあたる七つのこと。

 一には、飢えたるものに食を与ること。

 二には、渇したるものに飲み物を飲ますること。

 三には、肌をかくしかぬるものに衣類を与ること。

 四には、病人と牢者をいたはり見舞うこと。

 五には、行脚のものに宿を貸すこと。

 六には、とらはれ人の身を請くること。

 七には、人の死骸を納むること是なり。

 

○スピリツにあたる七つのこと。

  一には、人によき異見を加ゆること。

  二には、無知なるものに道を教ること。

  三には、悲みあるものの心をなだむること。

  四には、科あるものをいさむること。

  五には、恥辱を堪忍いたすこと。

  六には、隣人の過ちを赦すこと。

  七には、生死の人と、また我らに仇をなすもののためにデウスを頼みまつること是なり。

 

ミゼリコルジアの所作に似たものが仏教にもあります。

 

慈悲の実践~無財の七施~

 

1.眼施(げんせ)→やさしい眼差(まなざ)しで人に接する

「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。

 

2.和顔悦色施(わげんえつじきせ)→にこやかな顔で接する

眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。

 

3.言辞施(ごんじせ)→やさしい言葉で接する

言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。

 

4.身施(しんせ)→自分の身体でできることを奉仕する

重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。

 

5.心施(しんせ)→他のために心をくばる

心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。

 

6.床座施(しょうざせ)→席や場所を譲る

「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。

 

7.房舎施(ぼうじゃせ)→自分の家を提供する

四国にはお遍路さんをもてなす「お接待」(おせったい)という習慣が残っています。人を家に泊めてあげたり、休息の場を提供することは様々な面で大変なことですが、普段から来客に対してあたたかくおもてなしをしましょう。平素から喜んでお迎えできるように家の整理整頓や掃除も心がけたいものです。また、軒下など風雨をしのぐ所を与えることや、雨の時に相手に傘を差し掛ける思いやりの行為も房舎施の一つといえるでしょう。

 

いかがでしたか。キリスト教徒仏教の教えは違っても、行いには共通のものがあります。信仰をもってどう生きるかが問われています。