カトリック教会は洗礼時に洗礼名を付けます。わたしの洗礼名はアウグスティヌスです。

 

聖人の記念日はその人が亡くなった日です。アウグスティヌスは430年8月28日になくなったので今日が記念日になっています。ラテン語ではなくなった日をdies natalisと言いますが、生まれた日という意味で、天に召されいのちを与えられた日と考えることもできます。

 

名古屋教区では野村司教、浅井神父、そしてわたしがアウグスティヌスです。

 

アウグスティヌスと言えば著書の『告白録』がよく知られています。山田晶先生の翻訳『告白』の訳者解説で、「告白」(confessio)は「懺悔」と訳されているが、「賛美」とも訳すことができると教えられました。罪深い自分の状態をありのままに認めるとともに、そこから救って下さった神をたたえることだからです。冒頭で、アウグスティヌスは、

 

「あなたは、わたしたちがあなたをたたえ、喜ぶようになさいます。あなたはわたしたちをあなたに向けて創られたので、わたしたちの心はあなたのうちに憩うまで、安らぎません。」

(tu excitas, ut laudare te delectet, quia fecisti nos ad te et inquietum est cor nostrum, donec requiescat in te.)

といっています。

 

人それぞれの人生の浮き沈みの中で、さまざまなものを追求しますが、それで満足が得られることは少ないのかも知れません。究極の安らぎどころは、自分を創った神のもとしかないと痛感した彼はキリスト教に入信し、やがてヒッポの司教となり、その後大きな影響をキリスト教に与えました。ルターがアウグスティノ会の修道士であり、アウグスティヌスの研究をしていたこともよく知られています。

 

回心は突然生じるのではなく、その人が気付こうが、気付くまいが長いプロセスがあります。アウグスティヌスのような大人物でなくても、誰にでも回心のプロセスはあるのです。その回心の原動力は私たちの力ではなく、私たちをご自分に向けて創られた神ご自身かも知れません。究極の安らぎどころは、自分を創った神のもとしかないと痛感した彼はキリスト教に入信し、やがてヒッポの司教となり、その後大きな影響をキリスト教に与えました。ルターがアウグスティノ会の修道士であり、アウグスティヌスの研究をしていたこともよく知られています。

 

 

 

回心は突然生じるのではなく、その人が気付こうが、気付くまいが長いプロセスがあります。アウグスティヌスのような大人物でなくても、誰にでも回心のプロセスはあるのです。その回心の原動力は私たちの力ではなく、私たちをご自分に向けて創られた神ご自身です。