聖家族の祝日にあたり、以前読んだ本の内容を抜粋でご紹介します。表題は「なぜ人を殺してはいけないか」です。
 
 なぜ人を殺してはいけないか――田口ランディ
 
 番組での、「なぜ人を殺してはいけないか」という高校の問いをきっかけに新聞や雑誌の記事、TV番組の特集などが相次いだ。それらの企画の中には、「有識者」「知識人」たちにこの問いをアンケートし、答えを提出してもらおうというものがいくつかあった。
 そのなかで「インターネットの女王」と呼ばれたメルマガエッセイの名手で、『コンセント』をはじめとする小説作品もある田口ランディー氏の回答は、大変生き生きとした記述になっており、学生たちに紹介してもダントツで共感を得た回答である。
 「なぜ人を殺してはいけないんですか? 」という質問が出た時に、(ランディさんの友人の)彼女はテレビに向い、「こういう番組こそね、そこらのフツーのお母さんが出てこなくちゃダメなんだよ。なんでこんな頭でっかちの男と女ばかり登場させるのかな」確かに言われてみるとなるほどと思う。たぶん、このような討論番組で物事を論理的に語るのに、主婦や母親は適切ではないと判断されているのだろう。少なくとも、活字にしてもまかり通るくらいの言葉でしゃべらないといけないわけだから。しかし、生命について考えるとき、母親である女性、という存在はもっとクローズアップされていいのかもしれない。
 「でもさあ、フツーのお母さんが出てきたら、感情論みたいなんで終わってしまうんじゃないの? 」
 「感情論のどこが悪いんや。なんで人を殺してはアカンか、なんちゅう問題に感情以外のどんな回答があるっちゅーんや。だいたいなあ、人なんか戦争でいっぱい殺してきた男がだよ、人を殺してはいけません、ってルール作って子供に押しつけて、子供がハイそうですか、って信じますかいな」ついに彼女は生れ故郷の大阪弁をしゃべり出した。
 「じゃあさあ、あんたは、人を殺してはいけない理由が言えるの? 」
 「それは、子供を産めばわかる」
 「そんなんじゃ男は一生わからないじゃん」
 「だから男は戦争するんだよ、バカで人を殺してはいけない理由がわかんないから」
 「子供を産むと本当にわかるの? 」
 「わかんないバカ女もたまにいるけどね、だいたいはわかる」彼女が言うには、子供というのは、自分から生れてくるそうなのである。自分の判断で自分が出てきたい時に自分でうんこらしょと出てくるそうなのである。生れる時は自分で決める。そして、体内に宿った瞬間から生きようと始める。「そりゃあそうだよなあ、死のうとする胎児なんて聞いたことないもんな」「そやろ、赤ちゃんってのは、そらあもう必死で生きようとしてる。なぜだかわからん。とにかく生きようとする。本能っていうんかなあ。その生きようとする生命力はすごいんや。生れて来て、ぎゃあぎゃあ泣いてミルクほしがって、うぱうぱ飲んで、寝て、うんこして、一生懸命お母さんの顔を覚えてなあ。だって、赤ちゃんはお母さんが命綱やから、顔覚えんかったら死んでしまう。だからもうお母さんのことは真っ先に覚えるんや」
 「ふうん、そういうものなのか」
 「そうや。誰でもそうやって大きくなった。自分が生れたくて出てきて、必死で生きようとしてた。そしてな、これが大事なんやけど、生れたばかりの赤ちゃんはほっておいたらどうなる? 」
 「そりゃあ、死ぬでしょう」
 「そやろ、人間は3、4歳くらいになるまで、ほっておかれたらすぐ死ぬ存在なんや。2才くらいまでは誰かがつきっきりで、ご飯食べさせたり、おしめとりかえたり、とにかく四六時中誰かの世話が必要なんや。ようは24時間介護が必要な人間ってわけだ。つまりな、こうして自分が生きているってことはよ、誰かがそれをやってくれたっていう証やねん」すべての生きとして生ける人は、2歳までの間に誰かがつきっきりで寝食を削って自分の世話をしてくれたはずだ。彼女はそう断言する。そうでなければ、赤ちゃんは死ぬのだそうだ。世話をしてくれたのが母親であれ、父親であれ、施設の人であれ、この24時間つきっきりの世話というのを誰かがしてくれたからこそ、今生きているすべての人は存在している。「それを考えたら、人間が生きているってすごいなあ、って思わへんか? こんなたくさんの人がだよ、生れてすぐに死なずに、誰かの世話になってこうして生きているわけや。うちなあ、母親になって思ったんよ。よくもまあ、みんな子供を殺さずにやってるなあって。だって、あんた本当に24時間介護でっせ。それでもさあ、殺される子供なんてめったにいないわけよ。なんだかんだ言いながら、大人になる。すごいことだよね。奇跡だよ奇跡」
 「うーん、そんな風に考えたことは無かったけど、確かに、当たり前すぎるけどすごいかも」
 「なんで、赤ちゃんは殺されずに生き延びると思う? 」
 「わかんない」
 「赤ちゃんのもっている生きようとする力が大人を感動させんねん」
 「生きようとする力? 」
 「そや。そりゃあもう、生れてきたってだけですごいんやけど、その後も、成長して生きようとする力に大人はぼう然とさせられる。目から鱗やね、もう、赤ちゃんのパワーは。それを見せつけられるから、大人はもう赤ちゃんの奴隷になって育てるんよ。赤ちゃんは、大人を圧倒して、屈服させるくらいの力を持ってるんだと思う」
 「そういやあ、赤ちゃんて、なんか存在がきらきらしてるよね」
 「誰でもそうやったんや。そのことを知っているのは母親だけや。腹の中で暴れたことまで記憶してるのは母親だけや。だから、あたしはね、なんで人殺したらあかんのか、とか言うボケガキには、お前がどうやって生れて来てどんなに必死で生きようとしていたか、ってことを話してやらなあかんと思う。どれくらい、生きたがって泣いて叫んでもがいたか。手の平に乗る大きさのくせに、自分で産道をこじあけて出てきたこと、生れてから2年間、ただ生きるためだけに懸命だったこと、そしてそれがどんなに世界を明るくしたかってこと、全部話してやる。そんで、この世の中の誰もがそうやって生れて来たんだってこと、わからせたる」……
(田口ランディ 「母親のお仕事」1999.02.20 配信メールマガジンリンク切れ)
 
 イエスはヨセフとマリアのもとに生まれました。イエスの誕生は世界を明るくしました。そしてイエスの弟や妹として生まれる赤ちゃんたちも皆イエスと同じかがやきで世界を明るくし続けています。
 そのかがやきが見える大人とそうでない大人がいるようです。