私が韓国に留学していたのは1984年から1986年まででした。その留学中たまたま1985年のクリスマスにインドに行くチャンスがありました。
 インドのマドラスで開かれるテーゼ共同体の祈りの集いのお誘いを受けたのです。その祈りの集いのテーマは「地上における信頼の巡礼」でした。
 ご存じのようにインドは多民族国家で、南インドは特に紛争がよく起こる地域です。テーゼ共同体のことを知ったインドの司教たちは、テーゼ共同体の創始者ブラザー・ロジェに祈りの集いを是非マドラスで開いてほしいと願いました。民族紛争で猜疑心と恐怖に満たされてしまった南インドに信頼と和解を願ってのことでした。
 私を誘いに来られたテーゼ共同体のブラザーは、「マドラスでの宿所が韓国人と日本人は同じ場所で、英語だけでは良いコミュニケーションが図れない。あなたは在日韓国人で日本語も韓国語もできるので是非両者の橋渡しをしてほしい」といいました。
 このお誘いを受けて韓国からの参加者のグループと共にクリスマスの頃マドラスに参りました。そこでの出来事はまことに思い出深いものがありました。
 考えてみれば、当たり前のことですが、インド、特に南インドのクリスマスはホワイト・クリスマスではありません。私は1月2日にマドラス郊外のマハバラプルムで泳ぐことができました。昼間の温度は30度を超えます。そんなインドのクリスマスでは木と紙で作った赤い星を家の前に飾ります。星の中には小さな電球が入れてあり、夜になると電球を灯します。日本の夜は街灯やイルミネーションがきらめいてまぶしいぐらいですが、マドラスの夜はひっそりと暗いままです。その暗い夜にクリスマスを祝う赤い星が所々の家の軒先に灯っているのです。
 ある夜、マドラスの小学校の先生からクリスマス・パーティのご招待を受けました。出かけてみると小さなアパートでした。奥さんの姿が見えません。伺うと何年か前になくなったとのこと。お父さんと男の子が3人の家庭でした。
 食べものは、質素なものでほんのわずかしかありません。それをみんなで分け合って食べました。
 食事の間に、子どもたちの顔を見てみるとどうも一番下の子は、誰にも似ていません。それでお父さんに思い切って聞いてみました。すると、自分は小学校の教師をしており、乏しい給料ではあるが子ども2人を育てても少し余るので、自分の田舎から、両親のいない子を迎えて一緒に育てているとのことでした。
 いろんなお話をして、お別れしようとしたら、「あなたは神父だから、どうか私たち一家の為に祈ってほしい」と言われ、皆で輪になってお互いの手を握って祈りました。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)
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教区センターの馬小屋、赤い星はインドを思い出しながら昨年手作りしました。