主キリストの昇天に寄せて

主の昇天にまつわるわたしの思いをご紹介します。

1961年4月12日に、人類史上初めて宇宙飛行を成し遂げたソビエト連邦の宇宙飛行士であるガガーリンは、「地球は青かった」と「神はいなかった」といったとされています。

ここで、「宇宙に神がいるかどうか」という問題について論じるわけではありません。

わたしは「天」は「宇宙」ではないと思っているのです。

「天」は誰の上にもあり、誰のものでもありません。

かつてイエスは山上の説教で次のように語りました。
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5:43-48)
(天の)父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。
敵と和解する方法は一つだけのようにわたしには思えます。
それは、わたしが敵だ、悪人だ、正しくないと決めつけているその人の上にも天の父が太陽を昇らせ、雨を降らせてくださるのだと悟ることです。
裏を返せば、人を敵だ、悪人だ、正しくないと決めつけているわたしの上にも天の父が太陽を昇らせ、雨を降らせてくださっていると気がつくことです。

天には国境がありません。
天は誰でも仰ぐことができます。
天は誰のものでもありません。
イエスは誰でも仰ぐことができ、誰のものにもならない天の父である神の右に座しておられることを信じます。
イメージ 1

イエスが昇天したと言われる場所に建っている教会。