復活の聖なる徹夜祭

 聖土曜日は、キリストが墓に葬られた後の大安息日として、ミサを行わず、一日中、復活徹夜祭の準備をします。
 復活徹夜祭は、「あらゆる徹夜祭の母」と呼ばれて大切にされ、すでに四世紀には、エルサレムだけでなく、西方でも東方でも盛んに行われていました。
 この夜は、古来、神のために守る徹夜(出エジプト12:42)と呼ばれて大切にされ、信者は、福音(ルカ12:35)にすすめられているように、あかりをともし、目をさましてこの夜を過ごします。こうして、主が死から生命へとお移りになったこの最も聖なる夜、洗礼によって新しく生まれた兄弟とともに、喜びの食卓に招かれるのです。
第一部 光の祭儀

闇の中で火がおこされ、それが復活の大ろうそくに灯され、そのろうそくを先頭にして全会衆が聖堂に入堂します。助祭はろうそくを高く掲げ三度「キリストの光」と朗唱します。会衆は「神に感謝」と答え、大ろうそくから火をもらいキャンドルサービスをします。キリストの光は大ろうそくから一人ひとりがもっている小さなろうそくに伝えられ、聖堂全体がろうそくの光で満たされます。

第二部 ことばの典礼

朗読は旧約聖書の創世記から始められ旧約聖書の七つの書が朗読されます。旧約聖書に洗われる神の救いの歴史が語られます。

集会祈願の後
使徒パウロのローマの教会への手紙が朗読されます。
アレルヤ唱の後
マルコによる福音が朗読されます
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
 イエス復活の最初の告知を受けたのは弟子たちではなく、女性たちであったとマルコは証言しています。神の救いは女性たちに先に告知されたことは大きな意義があるとわたしは思います。

第三部 洗礼と堅信

 復活徹夜祭に洗礼を受けることは、第二ヴァチカン公会議が再発見したことでした。すでに紀元160年前後ローマのヒッポリュトスの『使徒伝承』に聖土曜日の洗礼式の様子が描かれています。
 定められた洗礼の時刻に、司教は油の上に感謝をささげ、それを器に入れる。この油は感謝の油と呼ばれる。また司教は別の油を取って、悪霊の追放を行う。この油は悪霊追放の油と呼ばれる。ひとりの助祭がこの悪霊追放の油をもって、司祭の左に立ち、もうひとりの助祭が感謝の油をもって、司祭の右に辰。司祭は洗礼を受ける人の一人ひとりを招き、つぎのように言って悪霊を拒否することを命ずる。
「サタン、わたしはおまえと、おまえの一切の虚栄と、おまえの一切のわざを捨てる」。
一人ひとりが悪霊を拒否した後、(司祭は)悪霊追放の油を塗りながら、次のように唱える。「一切の悪霊があなたから離れ去りますように」。
……ひとりの助祭が同じように受洗者と共に(水辺に)降りて行く。受洗者が水に入ると、洗礼を授ける者はその上に手を置いて言う。
「全能の神である父を信じますか」。
受洗者は答える。
「信じます」。
 するとただちに洗礼を授ける者は受洗者の頭に手を置いたまま、一度目の水に浸す。それから次のように言う。
「聖霊によっておとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられて死に、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って父の右に座し、生者と死者をさばくために来られる神の子、イエス・キリストを信じますか」。
受洗者が「信じます」と答えると、二度目の水に浸される。それから(洗礼を授ける者が)また尋ねる。
「聖なる教会の中で聖霊を信じますか」。
受洗者は答える。「信じます」。こうして三度目の水に浸される。
 受洗者が水から上がると、次のことばをもって司祭から感謝の油を塗られる。「イエス・キリストの名によって、あなたに聖なる油を塗ります」。続いて、受洗者は各自からだを拭き、衣服を着けてから教会に入る。
司教は受洗者に手を置いて、次の祈願を唱える。

「主なる神よ、あなたは再生の水洗いによって、この者たちを、罪のゆるしを受けるにふさわしい者としてくださいました。この人々を聖霊で満たし、あなたの恵みを注いでください。み旨に従ってあなたに仕えることができますように。栄光はあなたに、父と子と聖霊に、聖なる教会の中で、今も、世々に。アーメン」。
 それから、感謝の油を手で注ぎ、受洗者の頭に手を置きながら次のように祈る。「全能の父である神とイエス・キリストと聖霊によって、あなたに聖なる油を塗ります」そして額にしるしをしてから、その人に口づけをして、言う。「主は、あなたとともに」。しるしを受けた者は答える。「また、あなたの霊とともに」。司教は、一人ひとりにこのようにする。
 この時からこの人々は全会衆と一緒に祈る。つまり、これらすべてを受けるまでは、この人々は信者とともに祈らないのである。また、祈りが終わると、雨洗者は平和の口づけをする。
わたしたちが今日体験していることは、何と2世紀からイエス・キリストの教会で実践されていることなのです。

第四部 感謝の典礼

 ヒッポリュトスの『使徒伝承』でも、洗礼の後はすぐに感謝の典礼の描写が始まります。洗礼はイエス・キリストの肢体になることです。イエス・キリストご自身と一体化されることですから、洗礼が感謝の典礼と結ばれているのは当然なことです。イエス・キリストと結ばれるのは教会の信仰共同体の中で行われるため、キリスト者と呼ばれる人々の霊的な集いにも受け入れられることになります。
 洗礼は個人的にイエス・キリストに結ばれるのではなく、教会を通して共同体として結ばれることをわきまえることが大切ですね。