アベルを殺した際のカインの心情は推し量るべくもない。
何?それ。
殺した側の痛苦や自責の念をいかに和らげるかに慮った武兵器の歴史があるということ。
それってカインの末裔の話だろう(中略)つまりアレかい?間接的に大量破壊や大量殺戮を効率よく行えるシステムをいかにして組み上げるかが、文明史の一面の真理だったってワケ?
科学が最も発達した時期は戦時期とぴたりと重なるようにね。
ふーん。でもねえ、今は風が吹けば桶屋が儲かる式で、消費優先の生活そのものが、新種の戦争参加とも解釈されるよ。
そこで開き直れるかどうかだ。ピッコロ社の社長のように生命を奪って生きながらえる我々の罪深さを神に許してもらって食っていくか、自給自足の仙人生活を志すか?
(スローライフやロハスの議論を中略)
でも、長くかかるね。
そう、どの文明もいずれは滅びる。パクス・アメリカーナもね。その跡を我々は現在遺跡として見ることができるんだけど、エライモノが1945年8月6日に使われちまった。
原爆ね。
殺した側の痛苦や自責の念をいかに和らげるかに慮り、間接的に大量破壊や大量殺戮を効率よく行えるシステムをいかにして組み上げるかが歴史的に極まった一瞬だった。
ただの大量破壊や大量殺戮との違いは?
消すんだよ、何もかもを。近代のパワーゲームの最たるスペイン市民戦争をどうとらえるかも大事だけれど、(日本の)戦後、あの土地がどうなったか。戦前が消されてしまったんだ。もちろん『はだしのゲン』のように、生きることが一番大事なんだけど、歴史がブツンと断たれてしまった土地がその後、左右問わずどれだけの利権争いの舞台になったか、たくさん資料があるから見てみるといい。
『仁義なき戦い』?
また偏った見方だなー。(中略)まあいいや、とにかく、自分たちの文明史の頂点は一瞬で遺跡に変わり果て得る事件を目の当たりにすれば、為政者は抑止以外は使えないと考えるのが普通だろう。
冷戦のこと?
そう。
だけど、使われてるよ。
(中略)とまあ、形を変えて色々ね。
そんなに人間てバカなのかなー。
そうやって世界を救いたがった皇兄ナムリスも泥まみれになった。権力を掌握した状態がスタートラインであったにもかかわらず。
逆に悪いことをいっぱいやって、権力を握ってから良いことをやるってのは?
周囲が許さないってのと、暗殺されるのがオチだってのは歴史を見れば一目瞭然でしょう。
いや僕だって権力を握った聖人君子の存在なんて信じちゃいないけどさ。
いるよ。■■■■とか。
一部の人にとってでしょ!
ま、冗談。
とにかく、新種の戦争の歯車である消費単位の一個として生きている我々。偉人伝は偉人になれないということを自覚するために読むのだということを自覚している我々。そのくせ、自意識肥大ツールには事欠かない時代にいる我々に欠けているのは。
実感?
それもあるけど、むしろその後。手ぇ切ったら痛いに決まってる。ブレーキ踏まなかったらカマ掘るに決まってる。経験値を上げる機会はたっぷりあるのに、それらが統合されてゆかない。
例示せよ。
アイドル歌手の没後一周年追悼イベントに集ったファンたちの人間模様を描いた作品なんだけど、とてつもなくウェルメイド。どんでん返しの積み重ねや視点の移動が矢継ぎ早で、大変良く出来てる。
舞台劇の映画化?
いいや、ちゃんとした映画として良く出来てる。
じゃあいいんじゃん。
でもね、出発点となったアイドルの自殺というリアリティ、その死の痛みが、すっぽり抜け落ちてる。
無い物ねだりじゃないの?
映画なんだよ、フィルムの手触りから作り手の思いが滲み出てくるものなんだ。
それがないから客が入ってんじゃない?
多分ね。でもあの、自分が惚れたアイドルが死ぬ間際の痛みにたいする想像力の欠如は一体何だろう。「現実に何の意味がある!」って台詞には確かに物語中での必然はあるんだけど、うわすべりになってしまってる。それよりも、客の「笑わせろ」の要求にたいして応えているだけのフィルムに堕しているように見えて仕方がなかった。
足りないんだね。よくわかるよ。でもね、足りてたら客入んないよ。アングラだけどちゃんと足りてるテント芝居だって一定以上の観客動員ができないじゃん。
不足を見にいってるの?今時の客は?
そ、だって「原因があって結果がある」ってお題目に納得しちゃうんだもん。過程はどうした過程は!「ヱヴァ」だってさー、どう見ても常温超伝導に近い技術が実用化されていなければ成立しないじゃん。
確かにね。
そのくせ『モスラ対ゴジラ』の人工雷発生装置のくだりに萌えてやってるし。アレって超アナログってか昭和特撮なのに。発電所は半分宇宙で、そのうちの一個を陽動に使う位の芸見せろよー。シャムシエルに一個破壊されても旧東京市地下にフローティング式加圧水型原発が二基あったとかさー。
それにフィルムの手ざわりの点で言えばコンクリートの質感とか、ディテールの描きこみはスゴいんだけど、それ以上に場面設定からくる奥行きが感じ取れない。
例えば?
あらゆる金属加工のマザーマシンは旋盤であるなんて、釈迦に説法だけど、油圧ユニットとかの、発動系のイメージが感じ取れない。
『海底軍艦』で円谷英二がムー帝国の動力炉のミニチュアセットに本物の油圧ユニットをビルトインしたような演出を求めてるの?それこそ無い物ねだりだよ。ボクはDD51の三重連でシキの行列が往くのには萌えたけどなー。
ま、『ブレードランナー』でも、ミードのデザインが先鋭的すぎたためスコットがわざと当時(1982年)のプロップに置き換え直したディテールもいくつかあったからね。
整理すると、歯車や発動機やプロップのデザインはこの上なく洗練されていても、パイピングがどこにどうカプリングされているかが考証、設定されていないということ。でも、それは限界かも知れないよ。『王立宇宙軍』でも、NASAにロケハンして、作品世界に出てくるあらゆるアイテムにたいして徹底的に考証を施して綿密に設定しても、登場人物の直立二足歩行や十進法を変えない限りその設定の必然はないなんて。ツッコミ自体が不毛じゃん。
話戻すけど原因があって結果があるってのに納得するのは「過程」をすっ飛ばすことに納得しちゃうってことなんだよ。
あ、それ大事。
風と桶屋の間を作りこむのが設定なんだから。しかし、アイデアを紙に描くだけで金になる環境にドップリ浸かっ(中略)
不足に満ち足りるって何だかなー。
監督もインタビューで衒学って言ってんだから。
でもそれは成長とはいわないんじゃ。
ガンダムの作品世界に影響されてロボット工学やナノテクの道を志した人がいるように、『ヱヴァンゲリヲン』で何か志す若者って…
社会学、心理学…宗教学?
風と桶屋の間を設定する人材は?普通経済学畑からだよね。
日本の経済学者には何も期待してない。理科系からはどうだろう、ま、期待しましょう。で、気になるのがシンジが吼えない。
エヴァ初号機と一体化してサキエルを殲滅した直後、隣のビルに映ったエヴァの素顔を見た時が最初の咆哮だったと記憶している。
テレビシリーズも特に後半にやたら吼えてたよねー。
もちろん、恐怖におののいて吼えるのと、「男の戦い」でゼルエルをNERV本部から地上へ追い出した時とは違う。
抑えてるのかな。
劇場版ではまだそこんところの設定が統一されてないとか。シンジの成長物語になってしまい。完結編で結局成長しませんでしたオチではないことを祈るか。
全くだ。『まごころを、君に』は「結局シンジは成長しませんでした」からこそ、十数年残る作品になれたのだから。
『エウレカセブン』なんて今や誰も口にしないもんなー。
いや、あれはあれで見るべき点はあったよ。
どこ?
信頼できる大人ホランドもしくはその集団ゲッコーステイトを、敵(仮想であってもあえてこの言葉を使用)と主人公の中間の世代に設定、登場させたことさ。これによって成長期の主人公が持つ不安定さに対処できる見通しが立つんだ。
ミサトがいるじゃん。加持リョウジも。
結果どうなった?

でもボクは『まごころを、君に』のラストは好きなんだ。一種の安定要素を取り込んだ結果だからね。
でも本作ではサブタイトル通りシンジは孤立を免れるというストーリーだぜ?
それが今後どう転がるかだ。
最後に、何故セカンドインパクトを(略)。