エンターテインメントにヒエラルキーがあるとして、その最下層に位置するのがプロレスリングだと言われる。事実、異種格闘技の世界(社会)からつまはじきにされたり、村八分、追放などの被処分者を見かける。(もちろんプロレスエリートもいる)
そんな落ちこぼれや、他に行き場のない人が、フットライトを浴び、歓声と熱狂を受けるヒーローもしくはヒールとして輝く時節を人生の一時期に持ってしまえば、その麻薬性から抜け出すことは容易ではない。「過去の栄光にしがみついている」なる揶揄は的を射てはいても、「過去の栄光」が影響した人生の悲哀にたいする想像力は欠いていることだろう。もちろん発言者にはそんな想像力を働かせる義務などない。そんなことは十分わかっているのだ、ミッキー・ローク扮するランディは。
鼓膜なんてとっくに傷だらけで補聴器要るし、ド突き合いの毎日じゃ記憶がトぶなんて日常茶飯事のこと。
傷とクスリで体はボロボロだが、気の良い奴なのは見りゃわかる。誘惑にも弱い。甘チャンな人生だったのだろう。
それにしても登場人物の甘チャンなこと。類友じゃないが、そんな甘チャンだからシングルマザーになるし、娘ときたら酷いとーちゃんとプレゼントぽっちで早々と和解しちゃうし…(あぶなっかしくて見てらんねーって守ろうとするルームメイトがいるけど)。
カメラはドキュメンタリータッチではない意味で、ステディカムをあえて使わず、ランディの後ろ姿を追う。照明もソースライティングが多い。そして、長年映画を見続けていると、制作費や役作り以外の苦労が忍ばれる部分に気づくことがよくある。「あ、製作が一時ストップしたな」とか…。
酷い状況でもコレがあればやっていけるというのはドラマツルギーとしてはめずらしくないが、映画としては中々ない。ダメ男への友情なら『真夜中のカーボーイ』『スケアクロウ』があるけど、どれも大昔だ。気をつけなければいけないのが、キャメラのこちら側の視点だ。甘チャンではすまされないファインダの手前側のことだ。
21世紀に作られた本作で注目すべきはショウビズの最下層としてのプロレスをちゃんと取材していること。人種(その他の)差別がもつ健全さ(ここで理屈は説明しないよ!)と闘争本能のはけ口としてのプロレス観戦というものをきちんと伝えていること(ミゼットプロレス含む)。
余談だが、近頃の米国テレビドラマは人種差別的表現をあまり隠さない。80年代までは配役に人種民族的バランスをとろうとする意図なんかミエミエだったのだが。今やゲルマン丸出しのご仁がユダヤ人差別発言を平気で本編中に言ったり…。今でも四文字言葉は御法度だろうが、ナチなんかは州によってはどうなってんのかな?
かつて小生は偏差値70がつくる偏差値40の作品はキライだと書いた。しかし人間というものはもうちょっと複雑で、偏差値70な奴でも偏差値10な部分があるんだ。バカヤローな部分があるんだ、そうだろ?
そいつがブチ切れて、やっていける奴とやっていけない奴との格差社会かい?
世の中不景気だってよ。
ブルースの曲が流れた。
浪花節な涙腺のゆるい中年男には要注意な一本。俺も甘チャンだな。畜生、たまらねえぜ。
そんな落ちこぼれや、他に行き場のない人が、フットライトを浴び、歓声と熱狂を受けるヒーローもしくはヒールとして輝く時節を人生の一時期に持ってしまえば、その麻薬性から抜け出すことは容易ではない。「過去の栄光にしがみついている」なる揶揄は的を射てはいても、「過去の栄光」が影響した人生の悲哀にたいする想像力は欠いていることだろう。もちろん発言者にはそんな想像力を働かせる義務などない。そんなことは十分わかっているのだ、ミッキー・ローク扮するランディは。
鼓膜なんてとっくに傷だらけで補聴器要るし、ド突き合いの毎日じゃ記憶がトぶなんて日常茶飯事のこと。
傷とクスリで体はボロボロだが、気の良い奴なのは見りゃわかる。誘惑にも弱い。甘チャンな人生だったのだろう。
それにしても登場人物の甘チャンなこと。類友じゃないが、そんな甘チャンだからシングルマザーになるし、娘ときたら酷いとーちゃんとプレゼントぽっちで早々と和解しちゃうし…(あぶなっかしくて見てらんねーって守ろうとするルームメイトがいるけど)。
カメラはドキュメンタリータッチではない意味で、ステディカムをあえて使わず、ランディの後ろ姿を追う。照明もソースライティングが多い。そして、長年映画を見続けていると、制作費や役作り以外の苦労が忍ばれる部分に気づくことがよくある。「あ、製作が一時ストップしたな」とか…。
酷い状況でもコレがあればやっていけるというのはドラマツルギーとしてはめずらしくないが、映画としては中々ない。ダメ男への友情なら『真夜中のカーボーイ』『スケアクロウ』があるけど、どれも大昔だ。気をつけなければいけないのが、キャメラのこちら側の視点だ。甘チャンではすまされないファインダの手前側のことだ。
21世紀に作られた本作で注目すべきはショウビズの最下層としてのプロレスをちゃんと取材していること。人種(その他の)差別がもつ健全さ(ここで理屈は説明しないよ!)と闘争本能のはけ口としてのプロレス観戦というものをきちんと伝えていること(ミゼットプロレス含む)。
余談だが、近頃の米国テレビドラマは人種差別的表現をあまり隠さない。80年代までは配役に人種民族的バランスをとろうとする意図なんかミエミエだったのだが。今やゲルマン丸出しのご仁がユダヤ人差別発言を平気で本編中に言ったり…。今でも四文字言葉は御法度だろうが、ナチなんかは州によってはどうなってんのかな?
かつて小生は偏差値70がつくる偏差値40の作品はキライだと書いた。しかし人間というものはもうちょっと複雑で、偏差値70な奴でも偏差値10な部分があるんだ。バカヤローな部分があるんだ、そうだろ?
そいつがブチ切れて、やっていける奴とやっていけない奴との格差社会かい?
世の中不景気だってよ。
ブルースの曲が流れた。
浪花節な涙腺のゆるい中年男には要注意な一本。俺も甘チャンだな。畜生、たまらねえぜ。