君は永くアニメーションを鑑賞してきて、「歩く」ことを描くことの難しさを考えたことがあるか?

特に人物が歩く正面や後ろ姿を普通-ようするにリアルに歩く動作を目撃した経験だ。

 

滅多にあるまい。

私がアニメーション作品を評価する際の物差しのひとつにしているのは、普通の動作が普通に感じ取れるキャラクターの動きになっているかどうかだ。

最近こそ、そのことに気づいた手練れのアニメーターによる普通に「歩く」表現の成功例を目にすることが増えたが。

 

そんなこともできていなかったのかと驚かれるのもごもっとも。リアルな動きを追及するならロトスコープを用いた『ひゃくえむ』が良作とされる。が、小生はそう思わない。キャラクターはすべてデザインされており、それに即した「歩き方」が動きとしてアニメートされねばならない。

「歩き」ではないが、キャラクターに即した演技アニメートの好例として『千と千尋の神隠し』における、湯屋で働く千がハクから貰ったおにぎりをほおばって涙を流す場面を挙げておく。普通の動作をアニメに求めると、スタッフはその宿題の困難さに行方不明になってしまう。デッサンを重ね、アニメートの経験値を積むくらいしか処方は思いつかない。

 

『北極百貨店のコンシェルジュさん』本編中、時節はクリスマス、ケナガガマンモスで彫刻家のウーリー氏の隣でたそがれている主人公でコンシェルジュ見習いの秋乃のもとへやってきたバーバリライオンのカップル。バーバリライオン彼女がウーリーと挨拶を交わすさりげなさや、ネコ君がウーリー氏に菓子を見せる際、秋乃が菓子箱を開ける手際がきちんとアニメートされている様など、普通は省略されるであろう動作がきちんと描かれている。閑話休題。

 

動物が擬人化したキャラクターとして人間の登場人物とドラマを演じる。このことにハテナを加える視聴者は少ない。

マンガアニメに慣れ親しんだ世代は当然のこととして何も疑問に感じずに鑑賞する。

ここにヒトの思い上がりが潜むどころかしっかり底流していることに気づく、ハッとする時が、ごくたまにあってもバチは当たるまい。

本編中、VIA(Very Important Animal)と称される動物たちはみな絶滅種だ、それもヒトの強欲さ故に。

その、ヒトの欲望を、消費営為として最も気分良く活かしてくれる場として、百貨店を舞台にした。

「ヒトが贖罪している様を描いているつもりか、それこそ傲慢さというものだ」と断じるのは容易い。

その理屈を押し流してしまうほどの、四季によって変わる店内装飾や、エキストラの衣装。シーン中カットが変わってもエキストラの動きがきちんと連続して活写されていることに感動するし、それらが、多枚数や描きこみなどの高クオリティ感を押し付けてこないことが何より好ましい。ここにはイメージやアイテムを画面に充満させる、ゲップが出そうなフルコース感はない。70分という比較的短い尺と相まって、ストーリー構成にいたるまで細心さを持って調整されたバランスの作品なのだ。

 

もういちど述べる。

アニメーションを評価する物差しの一つにキャラクターが普通に歩いているかがある。

さらにキャラクタ個々の動作がストーリー、シーン、カットに則ったものとして誇張やデフォルメ具合が吟味調節されているか。

 

最後に、北極百貨店の客たちは、皆自分以外の誰かに贈るために買い物をする。

強烈な皮肉だ。

しかし、観終わった後、嫌味を感じることはない。百貨店に憧れた昭和半ば生まれの駄弁である。