「スジを通す」なる紋切り型がある。
ある国と別のある国とが戦争やって 、片方が勝ち、もう片方が負ける。
勝った方は負けた方を属国にしようと占領し政体をつくりかえる。
普通その過程では様々な摩擦があるものだ。
摩擦と書いたが、イラク戦争直後のバグダッドを例として挙げて見る。
いたるところでテロが起き、戦前よりも戦後の方が戦死者(?)が多いと聞く。
負けた側は「やりやがったなこのやろう来るなら来てみろただじゃおかねえ」というわけで、占領されたフリをしつつおりあらばリベンジの機をみている。
そりゃそうだろうな。
ところが第二次大戦後の日本は、「あららら」という感じでいともあっけなく占領軍による政治運営が軌道に乗ってしまった。
この一見スジの通らない庶民の振る舞い「鬼畜米英」が「ギブミーチョコレート」に変わる理路は様々に論じられて来たし、過激なものは「一億総人間のクズ」論すらぶってみせるご仁もおられた。論考は識見豊富な学者先生方に任せるとして、終戦直後に、それこそイラク戦争直後のバグダッドのテロリストよろしく庶民ベースで「スジを通す」振る舞いを実行した者は一人もいなかったのか?と考える。
占領軍による政治運営が上手くいったのは「この政策はこうこうこういう理由からだと国民にいちいち説明してから施行されていったからだ。国民の生活がこのように窮乏しているため緊急に食料を輸入するとか、財閥や寄生地主が資本を蓄積しすぎたため戦争に至ったので、過度な資本の集中を排除する、すなわち財閥を解体し、小作を廃し自作農として自立させるなどの、言うなればモトから人間のデキが上手であるというふるまいを目の当たりにさせられては、面従腹従するほかなかった」
戦後のGHQ観はそういうところだったと、ある著名な知識人から聞いた。
では戦前当時の庶民はときの行政府をどう見ていたのだろうかと想像してしまう。
「野に遺賢なし」とまで言われた当時何がなんでもベストアンドブライテストの人材を上層部へ登用せよとのお達しはお上の至上命令で、下々の有象無象は雲の上の博士様大臣様先生方が導いてくださっている以上、間違ってもマチガイはないと固く信じていた。もしくは「由らしむべし知らしむべからず」で、お上は天上の人達で、自分ら庶民は文句を言っても届くはずがなくただ従うだけ…。封建時代の名残もあったであろう。
では現代と比べてみればどうだろうか?
東京オリンピック開催への批判がSNS上喧しい。
「オリンピックは儲かる」「コンパクトなオリンピックを」と言っていた。それも今や過去の話である。(本論からは外れるが)今一度オリンピック憲章を挙げておく。
ある専門家が、五輪の目的は「1) 開催国のためのものではない、2) 国同士の争いではない、3) 経済効果を求めてはならない、4)勝つことが目的ではない」に集約できると言っていた。
ちょっと想像してみる。大会閉会数年後、維持費削減のためガワだけ立派で中身は荒れ放題となり廃墟同然となった競技場で、ある元大会関係者が。責任者出て来い!と叫んでいる。
その場に居るお上のエライサンらが、ケツまくる際に抜く伝家の宝刀ならここ
http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2014.pdf
にありまっせと本気で信じているのだとしたら…。
読者諸兄は「度し難い」と思われたことだろう。この度し難さは今に始まったことではなく、戦前から連綿と続いてきたことなのだ。
本編中すずが湾内の軍艦をスケッチしていたのを憲兵に見咎められ、親類共々こっぴどく怒られる場面がある。8月15日直後、あの憲兵は自決しただろうか?
結果はご想像の通り。現状を眺めまわしても、戦前は竹槍でB-29を墜とせと息巻き、8月15日を境にわれ先にヤミ米へ走るのが平均的な日本の庶民像だと考えるし、降伏した前線の兵士の中には武装解除に応じず、ジャングルに篭ってゲリラ戦を戦ったという例は、あったとしても無視できるほど少数であった。どころか、復員兵らのなかには小火器を隠し持って占領軍に一矢報いてやろうという気骨者すら皆無で、あまっさえ、背嚢一杯の金目ノモノをかき集めて舞鶴港に下りたのである。
昨日までの自分をすべて欺いてでも今日を生き抜く。耳あたりは良いが、昨日までに大切なものの大半を失ってしまった者にとってはたまったものではない。
『三人の子国に捧げて哭かざりし母とふ人の号泣を聞く』(昭和万葉集)
映像物語本題に戻る。
戦争を主な題材に取った作品を思い出すに。その多くは反戦映画である。
ガタイが良かったため徴兵検査に甲種合格して召集された主人公は、本音は反戦のインテリだったが、内務班の不条理な規律やイジメ、戦線で艱難辛苦を乗り越えて 8月15日まで節を曲げなかったとか。
『戦争と人間』『人間の条件』『真空地帯』etc.
GHQの検閲指示もあったのだろうが、はたと思うのがこれらの作中に登場する戦争を支持する軍属、民間を問わない日本人たちが、いかにも愚かしく描かれていることだ。
「心ある(反戦思想を秘めた愚かしくない)日本人像」を描くことこそが、市場が求めていたものなのだ。だから作られたのだと、鳥瞰することもできようが、奇異に感じたのは、大半の、戦争に加担した市井普通の日本人を、なぜ描こうとしなかったのだろうと思ったものだ。
教養英知からは遠く、お世辞にも優秀有能とは言い難いが、平均的な庶民の嗜みを躾けられた一女性が、(対外戦争中の)平和な日常のなか、銃後において戦う様を描かなかった。もしくは描く機会がなかった理由。
その代表はやはり「かつての自分の愚かしさを今更見たくない」からだと思う。
大づかみに断ずるに、
これまで東京裁判史観と呼ばれてきたものは、太平洋戦争は軍部や一部行政府、指導者たちの暴走によって引き起こされたもので、庶民はその犠牲になったのだとの歴史のとらえかたがまことしやかに語られてきた。
なーんてハナシ本気で信じてる庶民なんているワケがなく、みーんなイケイケドンドンで戦争に突入していったっての。
この欺瞞にいち早く気づいていたはずの国民は、詔勅を発した天皇が免罪されたことからも、内心に押しとどめておくものだと、自身に信じ込ませ続けてきた。
「裸の王様」ですな。天皇も国民も。
右翼と呼ばれた人達は、その欺瞞を暴き立てる言辞を幾度となくアジってきたが、「今日のメシ」が思想に優先した時代がそれらの言動を押し流した。
すこしづつ国民生活が立ち直ると、レッドパージと朝鮮戦争で、戦後公職追放されていた戦前の指導者や官僚層が返り咲き、「餅は餅屋」で日本国の舵取りを担うようになった。
免罪された天皇は「人間宣言」やって象徴になったけど、本気で天皇に責任を取らせようとする右翼はいなくなった。何しろ自分が担ぐ御輿の存在意義がなくなるかもしれないのだから。
映画脚本家の笠原和夫氏はこの欺瞞に挑みつづけた数少ない右寄りの御仁で、『二百三高地』『大日本帝国』では作中に天皇の責任を問う楔を打ち込んでいた。
なんて例は稀で、多くの右翼系の作り手たちは英霊を称えたり、日本人の誇りを取り戻させる作品を作った。
『僕は君のために死にに行く』『海賊と呼ばれた男』
一方左翼と呼ばれた人達は、戦後早々に社会主義ちっくな権利の主張や実現に邁進しようとしたが、その多くはGHQに排され、レッドパージで打撃を受けた。
安保闘争をはじめとした「政治の季節」を経て、連合赤軍事件で革命=悪のレッテルが貼られ、冷や飯食いが長きにわたっている。
だから、悲劇を思い出させ続ける作品を作りつづけている。
『母べえ』『母と暮らせば』
戦争に加担する大半の日本の庶民は愚かしく描かれ(特に当時の官憲は)、一部の(「隠れ」の接頭語が付く付かないにかかわらず)インテリが、観客の感情移入の対象として描かれる。
小生が数多くの映画に触れた十代、1970~80年代に名画座で観た作品群は多くがそういったものだ。
もうおわかりのことと思うが、これら数多く作られた戦争を題材にとった邦画には、とても重大なとりこぼしがあるのだ。
天皇陛下のために死ねと教育されてきた若年層たちは、8月15日を境に、やれ民主主義だ、個人の人権だとGHQからご託宣をくだされれば、内心どう感じるだろうか?
特に思想教育の尖兵だった教育関係者たちはどう感じただろうか?
命がけで奉職してきた聖職者にしてみれば、「アホらしくてやってられっか」が人情だと思う。(実際のエピソードもある)なぜか?
スジが通っていないからだ。
それが高度に政治的な判断だったのだと言われればそれまでである。
ここで現在まで連綿と続いてきた左右翼の基本的な言論スタンスを引き合いに出してみる。
諸兄の右翼のイメージといえば、
天皇陛下を戴く、神国日本。
しかしそれは昭和20年8月15日に事実上滅んだ。皇室を除いて。
現在は街宣車で自主憲法制定や北方領土奪還などを大音声でアジる。その行動は実効性に乏しいことの裏返しであることがまるわかりだ。
左翼といえば、
社共の言説や、市民主義をもとにした、公平な利益分配や法の下の平等を求める。
さらには護憲?
しかし国家単位の実験は前世紀中に事実上失敗した。現存する社共を基調とする国家はそのほとんどがスターリニズムへと退廃した跡と思われる。
つまり、右翼は天皇が戦争責任を取らなかったことが最大のウィークポイントとなり、左翼の理想は実現が不可能もしくは失敗が必然な政体であることが歴史上証明されてしまった。(一部左翼には天皇制存続の主張すら在る)そのことが最大のウィークポイントと言える。
それらへの攻撃を巧妙にかわしながらしのいできた言説が、それこそ新聞から映像物語に至るまで(現在もなお)流布(もしくは垂れ流)され続けてきた。
ウンザリなのである。
似たような右翼的言説左翼的言説の焼き直しを、アタマの良い人達が再放送し続けることに。
本作の登場人物の多くは、開戦時、呉の提灯行列にも参加したであろう。
開戦当初の連勝に喜んだことだろう。しかし、戦局が変わってゆく。
食生活が貧しくなってゆくが、その分浮いた食料は、前線に配されたであろうし、
座学でおぼえたとおりに空襲時に行動し、あまっさえ焼夷弾を処理するに至っては立派な報国である。
すずは戦っている。
左翼からの「被害のみを拡大して描かれている」なる批判はおよそ的外れと言えよう。
それどころか、(新たに録音された)玉音放送にすずが怒るのは至極筋の通ったふるまいではないか!前述の右翼最大の弱点が衝かれたことからも、左翼系の言説からとやかく言われる筋合いはないと言えよう。
このように筋の通った登場人物の振る舞いが、既視感があり、丹念な取材と考証でつくりこまれた作品世界で描かれることに観客はリアリティを感じ、そしてこれまで語られてきた諸々の左右翼の言説がかわし、避けつづけてきた首尾一貫した人物造形に、映画鑑賞の巧者たち、キネマ旬報ベストテンをはじめとするプロの映画賞審査員たちは圧倒されるのだ。
終戦直後、ある子供から「負けていっぱい兵隊さんが死んだのに、なぜ戦争をはじめた偉い人は生き残っているの?」との問いに答えられた大人は想像以上に少数だろう。
この 問いに答えられないツケがまわってきたのだということに気づかないフリをし続けて、ひと時代以上が過ぎ、 目にとまった作品評にあった。曰く、
「大人が観る作品ではない」
経済成長の下、子供からの問いをうっちゃってせっせと利権構造を築くことにいそしんで来たおりこうさんの口から出た弁であれば、願い下げだ。
なぜならば 、私たちが直面している事態にも関わってくる大問題なのだから。
件の問いに真摯に答えようとすると、想像以上に手間隙がかかる。だったら眼前の衣食住をより豊かにするふるまいに勤しんだほうが実入りがよい。
事実、「 ニッポンが戦争に負けた時は小学生じゃったのぉ。あん頃はのぉ、上は天皇陛下から下は赤ん坊まで、横流しの闇米喰ろうて生きとったんでぇ。 」(『県警対組織暴力』 1975 年 脚本:笠原和夫 監督:深作欣二)がリアルな時代から、高度経済成長へと、昭和の後半は突き進んだ感は否めない。
もちろん経済成長に伴う摩擦は多々あった。古くは 2.1 ゼネスト中止や、安保闘争、公害問題などだ。
2.1 ゼネスト中止は、「結局アメリカ様には逆らえないだー」の諦念だし、安保闘争は政治外交云々よりも暴れたがっていた庶民の鬱憤漏れだったわけで、政治運動なんぞはアミューズメントやレジャーの発達とともに先細っていったし、公害問題は他人様の健康など知ったことではない政官財の構造が(今も)変わらず続いているわけで。
要するに何も変わらない、変わっていない。
平成生まれの北條すずさんは、絵を描くのが好きな夢見がちで、いつもボーっとしてはいるものの、人懐っこく、親しみやすい女性である。
ある脚本家が、北條すずに映画『共喰い』のラスト、母親の台詞は言えないという意味の言を目にした。
否、できる。
『この世界の片隅に』は、日本文学表現における中上健次以降まで、そのパースペクティヴに収めてしまった。
スジが通っているからなのだ。
巷には戦前戦中の史料や取材記録があふれかえっている。しかし人物としてスジの通った、オトナな人間観に基づいた生き様を見せてくれた造形は滅多に触れえなかった。
それに出会った衝撃は、西洋の教養主義者が小津安二郎監督の作品群に出会ったときのショックもかくあらんと想像する。
補足。
拮抗する映画言辞があるとすれば、
カート・ヴォネガット的超上から目線。もしくは
ペキンパーやイーストウッドが描く強者であるがゆえの悲喜劇くらいか。
ある国と別のある国とが戦争やって 、片方が勝ち、もう片方が負ける。
勝った方は負けた方を属国にしようと占領し政体をつくりかえる。
普通その過程では様々な摩擦があるものだ。
摩擦と書いたが、イラク戦争直後のバグダッドを例として挙げて見る。
いたるところでテロが起き、戦前よりも戦後の方が戦死者(?)が多いと聞く。
負けた側は「やりやがったなこのやろう来るなら来てみろただじゃおかねえ」というわけで、占領されたフリをしつつおりあらばリベンジの機をみている。
そりゃそうだろうな。
ところが第二次大戦後の日本は、「あららら」という感じでいともあっけなく占領軍による政治運営が軌道に乗ってしまった。
この一見スジの通らない庶民の振る舞い「鬼畜米英」が「ギブミーチョコレート」に変わる理路は様々に論じられて来たし、過激なものは「一億総人間のクズ」論すらぶってみせるご仁もおられた。論考は識見豊富な学者先生方に任せるとして、終戦直後に、それこそイラク戦争直後のバグダッドのテロリストよろしく庶民ベースで「スジを通す」振る舞いを実行した者は一人もいなかったのか?と考える。
占領軍による政治運営が上手くいったのは「この政策はこうこうこういう理由からだと国民にいちいち説明してから施行されていったからだ。国民の生活がこのように窮乏しているため緊急に食料を輸入するとか、財閥や寄生地主が資本を蓄積しすぎたため戦争に至ったので、過度な資本の集中を排除する、すなわち財閥を解体し、小作を廃し自作農として自立させるなどの、言うなればモトから人間のデキが上手であるというふるまいを目の当たりにさせられては、面従腹従するほかなかった」
戦後のGHQ観はそういうところだったと、ある著名な知識人から聞いた。
では戦前当時の庶民はときの行政府をどう見ていたのだろうかと想像してしまう。
「野に遺賢なし」とまで言われた当時何がなんでもベストアンドブライテストの人材を上層部へ登用せよとのお達しはお上の至上命令で、下々の有象無象は雲の上の博士様大臣様先生方が導いてくださっている以上、間違ってもマチガイはないと固く信じていた。もしくは「由らしむべし知らしむべからず」で、お上は天上の人達で、自分ら庶民は文句を言っても届くはずがなくただ従うだけ…。封建時代の名残もあったであろう。
では現代と比べてみればどうだろうか?
東京オリンピック開催への批判がSNS上喧しい。
「オリンピックは儲かる」「コンパクトなオリンピックを」と言っていた。それも今や過去の話である。(本論からは外れるが)今一度オリンピック憲章を挙げておく。
ある専門家が、五輪の目的は「1) 開催国のためのものではない、2) 国同士の争いではない、3) 経済効果を求めてはならない、4)勝つことが目的ではない」に集約できると言っていた。
ちょっと想像してみる。大会閉会数年後、維持費削減のためガワだけ立派で中身は荒れ放題となり廃墟同然となった競技場で、ある元大会関係者が。責任者出て来い!と叫んでいる。
その場に居るお上のエライサンらが、ケツまくる際に抜く伝家の宝刀ならここ
http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2014.pdf
にありまっせと本気で信じているのだとしたら…。
読者諸兄は「度し難い」と思われたことだろう。この度し難さは今に始まったことではなく、戦前から連綿と続いてきたことなのだ。
本編中すずが湾内の軍艦をスケッチしていたのを憲兵に見咎められ、親類共々こっぴどく怒られる場面がある。8月15日直後、あの憲兵は自決しただろうか?
結果はご想像の通り。現状を眺めまわしても、戦前は竹槍でB-29を墜とせと息巻き、8月15日を境にわれ先にヤミ米へ走るのが平均的な日本の庶民像だと考えるし、降伏した前線の兵士の中には武装解除に応じず、ジャングルに篭ってゲリラ戦を戦ったという例は、あったとしても無視できるほど少数であった。どころか、復員兵らのなかには小火器を隠し持って占領軍に一矢報いてやろうという気骨者すら皆無で、あまっさえ、背嚢一杯の金目ノモノをかき集めて舞鶴港に下りたのである。
昨日までの自分をすべて欺いてでも今日を生き抜く。耳あたりは良いが、昨日までに大切なものの大半を失ってしまった者にとってはたまったものではない。
『三人の子国に捧げて哭かざりし母とふ人の号泣を聞く』(昭和万葉集)
映像物語本題に戻る。
戦争を主な題材に取った作品を思い出すに。その多くは反戦映画である。
ガタイが良かったため徴兵検査に甲種合格して召集された主人公は、本音は反戦のインテリだったが、内務班の不条理な規律やイジメ、戦線で艱難辛苦を乗り越えて 8月15日まで節を曲げなかったとか。
『戦争と人間』『人間の条件』『真空地帯』etc.
GHQの検閲指示もあったのだろうが、はたと思うのがこれらの作中に登場する戦争を支持する軍属、民間を問わない日本人たちが、いかにも愚かしく描かれていることだ。
「心ある(反戦思想を秘めた愚かしくない)日本人像」を描くことこそが、市場が求めていたものなのだ。だから作られたのだと、鳥瞰することもできようが、奇異に感じたのは、大半の、戦争に加担した市井普通の日本人を、なぜ描こうとしなかったのだろうと思ったものだ。
教養英知からは遠く、お世辞にも優秀有能とは言い難いが、平均的な庶民の嗜みを躾けられた一女性が、(対外戦争中の)平和な日常のなか、銃後において戦う様を描かなかった。もしくは描く機会がなかった理由。
その代表はやはり「かつての自分の愚かしさを今更見たくない」からだと思う。
大づかみに断ずるに、
これまで東京裁判史観と呼ばれてきたものは、太平洋戦争は軍部や一部行政府、指導者たちの暴走によって引き起こされたもので、庶民はその犠牲になったのだとの歴史のとらえかたがまことしやかに語られてきた。
なーんてハナシ本気で信じてる庶民なんているワケがなく、みーんなイケイケドンドンで戦争に突入していったっての。
この欺瞞にいち早く気づいていたはずの国民は、詔勅を発した天皇が免罪されたことからも、内心に押しとどめておくものだと、自身に信じ込ませ続けてきた。
「裸の王様」ですな。天皇も国民も。
右翼と呼ばれた人達は、その欺瞞を暴き立てる言辞を幾度となくアジってきたが、「今日のメシ」が思想に優先した時代がそれらの言動を押し流した。
すこしづつ国民生活が立ち直ると、レッドパージと朝鮮戦争で、戦後公職追放されていた戦前の指導者や官僚層が返り咲き、「餅は餅屋」で日本国の舵取りを担うようになった。
免罪された天皇は「人間宣言」やって象徴になったけど、本気で天皇に責任を取らせようとする右翼はいなくなった。何しろ自分が担ぐ御輿の存在意義がなくなるかもしれないのだから。
映画脚本家の笠原和夫氏はこの欺瞞に挑みつづけた数少ない右寄りの御仁で、『二百三高地』『大日本帝国』では作中に天皇の責任を問う楔を打ち込んでいた。
なんて例は稀で、多くの右翼系の作り手たちは英霊を称えたり、日本人の誇りを取り戻させる作品を作った。
『僕は君のために死にに行く』『海賊と呼ばれた男』
一方左翼と呼ばれた人達は、戦後早々に社会主義ちっくな権利の主張や実現に邁進しようとしたが、その多くはGHQに排され、レッドパージで打撃を受けた。
安保闘争をはじめとした「政治の季節」を経て、連合赤軍事件で革命=悪のレッテルが貼られ、冷や飯食いが長きにわたっている。
だから、悲劇を思い出させ続ける作品を作りつづけている。
『母べえ』『母と暮らせば』
戦争に加担する大半の日本の庶民は愚かしく描かれ(特に当時の官憲は)、一部の(「隠れ」の接頭語が付く付かないにかかわらず)インテリが、観客の感情移入の対象として描かれる。
小生が数多くの映画に触れた十代、1970~80年代に名画座で観た作品群は多くがそういったものだ。
もうおわかりのことと思うが、これら数多く作られた戦争を題材にとった邦画には、とても重大なとりこぼしがあるのだ。
天皇陛下のために死ねと教育されてきた若年層たちは、8月15日を境に、やれ民主主義だ、個人の人権だとGHQからご託宣をくだされれば、内心どう感じるだろうか?
特に思想教育の尖兵だった教育関係者たちはどう感じただろうか?
命がけで奉職してきた聖職者にしてみれば、「アホらしくてやってられっか」が人情だと思う。(実際のエピソードもある)なぜか?
スジが通っていないからだ。
それが高度に政治的な判断だったのだと言われればそれまでである。
ここで現在まで連綿と続いてきた左右翼の基本的な言論スタンスを引き合いに出してみる。
諸兄の右翼のイメージといえば、
天皇陛下を戴く、神国日本。
しかしそれは昭和20年8月15日に事実上滅んだ。皇室を除いて。
現在は街宣車で自主憲法制定や北方領土奪還などを大音声でアジる。その行動は実効性に乏しいことの裏返しであることがまるわかりだ。
左翼といえば、
社共の言説や、市民主義をもとにした、公平な利益分配や法の下の平等を求める。
さらには護憲?
しかし国家単位の実験は前世紀中に事実上失敗した。現存する社共を基調とする国家はそのほとんどがスターリニズムへと退廃した跡と思われる。
つまり、右翼は天皇が戦争責任を取らなかったことが最大のウィークポイントとなり、左翼の理想は実現が不可能もしくは失敗が必然な政体であることが歴史上証明されてしまった。(一部左翼には天皇制存続の主張すら在る)そのことが最大のウィークポイントと言える。
それらへの攻撃を巧妙にかわしながらしのいできた言説が、それこそ新聞から映像物語に至るまで(現在もなお)流布(もしくは垂れ流)され続けてきた。
ウンザリなのである。
似たような右翼的言説左翼的言説の焼き直しを、アタマの良い人達が再放送し続けることに。
本作の登場人物の多くは、開戦時、呉の提灯行列にも参加したであろう。
開戦当初の連勝に喜んだことだろう。しかし、戦局が変わってゆく。
食生活が貧しくなってゆくが、その分浮いた食料は、前線に配されたであろうし、
座学でおぼえたとおりに空襲時に行動し、あまっさえ焼夷弾を処理するに至っては立派な報国である。
すずは戦っている。
左翼からの「被害のみを拡大して描かれている」なる批判はおよそ的外れと言えよう。
それどころか、(新たに録音された)玉音放送にすずが怒るのは至極筋の通ったふるまいではないか!前述の右翼最大の弱点が衝かれたことからも、左翼系の言説からとやかく言われる筋合いはないと言えよう。
このように筋の通った登場人物の振る舞いが、既視感があり、丹念な取材と考証でつくりこまれた作品世界で描かれることに観客はリアリティを感じ、そしてこれまで語られてきた諸々の左右翼の言説がかわし、避けつづけてきた首尾一貫した人物造形に、映画鑑賞の巧者たち、キネマ旬報ベストテンをはじめとするプロの映画賞審査員たちは圧倒されるのだ。
終戦直後、ある子供から「負けていっぱい兵隊さんが死んだのに、なぜ戦争をはじめた偉い人は生き残っているの?」との問いに答えられた大人は想像以上に少数だろう。
この 問いに答えられないツケがまわってきたのだということに気づかないフリをし続けて、ひと時代以上が過ぎ、 目にとまった作品評にあった。曰く、
「大人が観る作品ではない」
経済成長の下、子供からの問いをうっちゃってせっせと利権構造を築くことにいそしんで来たおりこうさんの口から出た弁であれば、願い下げだ。
なぜならば 、私たちが直面している事態にも関わってくる大問題なのだから。
件の問いに真摯に答えようとすると、想像以上に手間隙がかかる。だったら眼前の衣食住をより豊かにするふるまいに勤しんだほうが実入りがよい。
事実、「 ニッポンが戦争に負けた時は小学生じゃったのぉ。あん頃はのぉ、上は天皇陛下から下は赤ん坊まで、横流しの闇米喰ろうて生きとったんでぇ。 」(『県警対組織暴力』 1975 年 脚本:笠原和夫 監督:深作欣二)がリアルな時代から、高度経済成長へと、昭和の後半は突き進んだ感は否めない。
もちろん経済成長に伴う摩擦は多々あった。古くは 2.1 ゼネスト中止や、安保闘争、公害問題などだ。
2.1 ゼネスト中止は、「結局アメリカ様には逆らえないだー」の諦念だし、安保闘争は政治外交云々よりも暴れたがっていた庶民の鬱憤漏れだったわけで、政治運動なんぞはアミューズメントやレジャーの発達とともに先細っていったし、公害問題は他人様の健康など知ったことではない政官財の構造が(今も)変わらず続いているわけで。
要するに何も変わらない、変わっていない。
平成生まれの北條すずさんは、絵を描くのが好きな夢見がちで、いつもボーっとしてはいるものの、人懐っこく、親しみやすい女性である。
ある脚本家が、北條すずに映画『共喰い』のラスト、母親の台詞は言えないという意味の言を目にした。
否、できる。
『この世界の片隅に』は、日本文学表現における中上健次以降まで、そのパースペクティヴに収めてしまった。
スジが通っているからなのだ。
巷には戦前戦中の史料や取材記録があふれかえっている。しかし人物としてスジの通った、オトナな人間観に基づいた生き様を見せてくれた造形は滅多に触れえなかった。
それに出会った衝撃は、西洋の教養主義者が小津安二郎監督の作品群に出会ったときのショックもかくあらんと想像する。
補足。
拮抗する映画言辞があるとすれば、
カート・ヴォネガット的超上から目線。もしくは
ペキンパーやイーストウッドが描く強者であるがゆえの悲喜劇くらいか。