実は『アキレスと亀』について一文を草したのだが、作品がそもそも明示の集合体なので殊更に解説を加え、解釈の幅を狭める愚をおかすのを避けようと考えたのでアップしなかった。本作を取り上げるわけは、北野武監督作品に触れた前回に、暴力以外のリアリズムを描けないと書いてしまった以上、取り上げないわけにはいかないと、どうかこの場は言い逃れさせてください。
で、『アウトレイジ』だが、鑑賞中「?」と感じたのがしばしば。思うに、脚本を書き上げてから撮入したのだろう。北野監督作品の特長である「意外性」に乏しい。もちろん観客としての上から目線の願望混じりの感想。
2時間の長編脚本を撮入前に仕上げたのは本作が初めてなのか、ギャラの高そうな俳優が揃っていることからか、どうも現場で構成を変える大胆さ-『3-4X10月』の市井人のヘンな恐さや強さが垣間見える個所や、『ソナチネ』の、次に誰がくたばるかわからない不気味さ-が感じられず、北野武監督の作品なのに、一種の段取り臭が漂うのが、「?」の原因らしい。
もうひとつ、「間」だ。リズムと言い換えてもいい。
『その男、凶暴につき』で、殺し屋清弘とすれ違った吾妻刑事が延々歩いていったら、今すれちがったあいつだと踵を返して疾駆しだす。これをリアルタイムで見せたり、清弘との邂逅では至近の銃にたいして、撃鉄に指を挟んで防ぎ、または清弘が懐中から取り出された銃を吾妻が平手打ちすることで暴発した弾が、通りかかった女性に命中してしまったりと、極端に長い間と短い瞬間がコントロールされ、約100分間の尺は、傷がうずくリズムで埋め尽くされているではないかと感じたものだ。同様のリズムが、『あの夏、いちばん静かな海』『3-4X10月』にもあるが、本作はバイオレンスが売りである。
『ソナチネ』の矢島健一扮する上部組織の幹部をボコるリズム。『その男~』で売人の橋爪が延々平手打ちをくらうリズム。と、(一方的な)暴力のリズムが見えてこない。緩はリアルタイムまで伸ばし、急はリアルタイムまで縮めるモンタージュが、間のリアリティを盛り上げ、暴力の凄みを増しているはずが、意外なほど構成が整理され、期待をはぐらかされる。そこには観客を裏切って頭を下げてはいるが、俯いた顔からは舌を出しているコメディアンTAKESHIのしたり顔はイメージできない。
大友があっさりお縄になるのは意外だった。
とまあ、北野監督のキャリア中おそらく一番まとまりの良さが、ある意味健全さすら纏っていると思える。「北野作品に健全さ?信じられないね」って?同日に『告白』を観たせいもある。
冒頭、本家から黒塗り3ナンバーセダンの車列が走り抜けるが、全く同じような車列が市街地中心部の大通りで、速度制限も赤信号も無視して車間距離を維持しつつ右折していくのを目撃した経験を思い出した。