盲目の渡世人で居合抜きの達人である座頭の市が旅を続ける。草鞋を脱いだ先で巻き込まれる事件での活躍に加え、賭場や人情の機微、業、情念の悲しみもまた、しみじみと描かれる。
もちろん忘れてならないのは目にもとまらぬ居合抜きの殺陣。アップ以外は竹光に銀紙を貼った殺陣(カラミ)用の刀を使っているが、少し間合いを間違えれば竹光だろうが打ちどころが悪ければかすり傷では済まない。殺陣にはカッコ良さと同時に斬り合いのリアリティも求められるため、かつて時代劇スターは大部屋俳優の多くを専ら自身の斬られ役として抱え、日夜殺陣の稽古に勤しんでいた。御大に二スケ二ゾウは言うにおよばず、勝新太郎や若山富三郎はその代表格だろう。
また、いくら殺陣とはいえ斬るスピードは速すぎても1秒間24コマのフィルムに収まらず、斬る側がどのようなアクションで刀を振り、斬られる側がどのように斬られて倒れるのかをフィルムに定着させるための撮影技術や、モンタージュのテクニックまでもが、映画会社、特に撮影所各々で研究されていた。一例を挙げれば、抜刀したサンシタが襖の陰から市を狙う→斬る音と同時にサンシタが倒れる→襖が真っ二つ→仕込みを納める市といった具合に。
また、撮影所システム崩壊以降、北野武監督作品のようにリアルな殺陣を鍛える時間がとれないときには、CGを使って間合を詰めたり、出血の効果を表現するのが正道でもあろう。

「座頭市 THE LAST」を観た。
これまで描かれた最強の居合抜きは出てこない。
かつての「座頭市」シリーズとの比較は野暮だ。むしろ、CGを使わずあそこまで殺陣をものした殺陣師はじめ俳優陣やスタッフを労いたい。

美しい日本の風景の中、一人ひとりの輪郭がくっきりと太く描出された登場人物たち。俳優の気持ち優先で本番GOを出したのだろう情念の演出によるクローズアップ、特有の編集リズムと音楽インのタイミング。厳しく規制した流血の見せどころ。どれも阪本順治監督作品ならではだ。
もっとも心配だった、主演香取慎吾の体格とキャラクターとのアンバランスだが、画面構成に工夫がなされており、気にならないのと、冒頭のシーンで座頭市は斬りあいに強いが、決して斬られない存在ではなく、その強さが微妙に調節されている。これひとつとっても、スーパーヒーロー然とした、勝新太郎が演じた座頭市とは一線を画しており、物語が進むにつれ、香取=座頭市になっていく。

さりながらストーリーはかつてのシリーズで確立された黄金パターンを踏まえてもいる。渡世のしがらみ、敵対するやくざ一家、関八州役人、心を許せる者との出会いと別れ、市に惚れるヒロイン、博打、ラスボスや剣の達人である浪人との対決などだ。
特筆すべきは友の裏切りを赦す市。これこそ任侠であり、加えてラスボス天道の最期や市の末路などは、本作をまさに現在の作品たらしめているではないか。

封切から数日後の郊外にあるシネコン。キャパ200名のスクリーン。平日夕刻の回で観客は二十名いたかどうか。終映時観客のつまらなさそうな顔。
それでも、私は「座頭市THE LAST」を支持する。