
蒸気機関車が好きだった。過去形で書いたのは日本における現役蒸気機関車はもう一部の動態保存機を除いてなくなったことがあるのと、趣味として鉄道模型を始めた幼少の頃には未だ満足な模型が市販されていなかったことも理由のひとつだ。
実物のイメージをよく捉えて程よくデフォルメされたミニチュアで、バランスのとれた編成での運転・走行性能から言っても、西ドイツのメルクリン社の製品に勝るものがなかったのだし、何より米ドルもドイツマルクも高かった。
まして玩具にカテゴライズされるものである。素手でさわれないような繊細なスケールモデルは敬遠し続けていた。
中学生になって月刊とれいん誌で実物と見まごうHO模型機関車の写真に出会った。
初めて目にするカラフルな米国型蒸気機関車群はどれも一台一台が今にも動き出しそうに生き生きと写真に収められていた。さらに衝撃を受けたのは、これらはそのほとんどが真鍮部品をハンダ付けで組み立てた日本製模型であったことだ。こんなスゴイ模型を量産できる工場ってどんなところなのだろうと思いをめぐらせたが、実は大田区や西川口の、小さな町工場だったことがわかるのは、ずっと後になってからのことである。
その後、円高と人件費の高騰からメーカーやブランドは生産拠点を日本以外の国に求め、韓国のメーカーが力をつけてくるが、私の興味は専ら1960~1980年代に日本で生産された輸出向けアメリカ型模型蒸気機関車に吸い寄せられたままだ。
一度でもスクラッチビルドを経験すればわかるが、スケール通りの模型化は不可能だ。どこかでデフォルメしないと実物が持つイメージを損なうことになるし、当時は現在よりも線の太いパーツやサイズの大きなモーターを搭載するため、畢竟外観はそれにあわせざるをえなかったであろう。そんな制約の下、輸出向け真鍮製模型は、細密さでは現在の模型には及ばないものの、前円高時代の贅沢な構造-軸バネ入り動輪や厚板多用の台枠、加えて基本構造がしっかりしており、車齢40年を越える模型機関車でも、ピシッとでた垂直と水平の線が崩れておらず、現在のレストアにも充分耐えうること、エッチングを使わず帯板を張ったボイラーバンドなどの彫りを深くする加工がゆきとどいていることなどが、全体のプロポーションのバランスと相俟って、「手で触れて遊べる堅牢さをもったスケールモデル」を極める一時代を築いたのである。
さらにその後、遅ればせながら、坂本衛氏の摂津鉄道のシーナリー・ストラクチャー群に驚嘆し、ジョン・アレン氏のG&D鉄道のパノラマイメージに打ちのめされた。そこには「プラよりもブラスだ」とか、「細密よりも精密だ」などというゴタクなど吹き飛ばしてしまうフォトイメージが、アートがあったのだから。
拙ブログでは、米国型模型蒸気機関車の、中でも気楽に眺めて、ニヤニヤしながらさわって遊べる模型を選んで紹介してゆきたいと思う。どうかお付き合いいただきたい。あれ?ということは、今も蒸気機関車が好きなのかオレって。
NP Class A model;Custom Brass-GoModel in1977,Class A5 model;PFM-Fujiyama in1973,Passenger cars model;Balboa-KTM