観て、手塚治虫を思い出していた。
そもそも彼は作品歴の中期(昭和40年代前半)までマトモな人間を主人公にしたことが小生の記憶にない。
ざっと思い出しても『ジャングル大帝』→ライオンの突然変異種。『鉄腕アトム』→引き裂かれた存在として擬人化されたロボット。『リボンの騎士』→おとこオンナ。『ブラックジャック』→全身ツギハギだらけの天才外科医といった具合に。(ツッコミはあると思うがここはかんべんしてね)
多くの国における通俗文化状況がそうであるように、大きな動乱の直後はマトモなオトナを主人公にすることがはばかられる。そもそも日本の終戦直後当時なんか大人という大人がことごとく信用を失墜したのだから。だから、もし手塚がそれに逆らって、(当時の価値観に則った)マトモな少女を主人公にしていたら…いや、彼のことだ、戦時中にそれを描いていたら…果たして本作よりも悪意を持った美しさに彩られたモノになっていたかも知れない。
オトナのリアルとコドモのリアルを対比させて戦争を告発する作品も『禁じられた遊び』『ミツバチのささやき』があるし、ファンタジーなら妄想と現実の接点すなわち「奇蹟」を導入した例も事欠かない。『汚れなき悪戯』『バンデットQ』なんかは序の口。救いの無い現実と妄想との並行なら『未来世紀ブラジル』etc。とまあ映画史からの視点にも事欠かないが、本作には日本のマンガを想起させられてしまう。
残酷描写に彩られたファンタジーなら『漂流教室』とか。
妄想の中でしか自由を得られない悲劇なら『天人唐草』とか。
じゃあ絶対に接点を持たない禍々しくも美しい妄想と残酷な現実との対比を現代のVFXでやるとこうなるワケか。
なーんて強がっているが、流血の歴史についてもうちょっと勉強しようとか、時の文化状況、特に物語への渇望史についても知見を深めたいと思ったりと、結構啓発されることが多かったのだ。
最後に人外から見たファンタジーとして現実を撃った名作『綿の国星』がある。が、またの機会に。(引用ばかりで恐縮)
以下は、スペイン近代史を識ってる知人の感想。
巷間流行っている「死にオチ」モノをやるならこの位やれ!と言わんばかりの脚本。それ以前に作者の趣味に走りすぎ、サラリと流している伏線や不必要にしつこすぎる残酷描写。ってゆーか、迷宮のデザインラインの一部は大航海時代の中南米古代文明の引用が散見され、かつて新大陸でさんざん「排除」(現代用語で大量虐殺)した先住文明の祟りなのかも。
ラスト、救いとなる場面の美しさと、現実におけるメルセデスがヴィダル大尉を殺す場面が並行するが、結局救いはない。むしろ、そこでのメルセデスのセリフが大航海時代から続く血塗られた歴史を、これからも繰り返してゆく様すら暗示する。
オフェリアの妄想や想いが「みんなわかってない」なら閉じこもれば?ですむなら世話ぁない。
カタルシスを回避する大胆さは児童文学のものだろう。小川未明の作品なんて筆者にとってトラウマだし。ああ、思い出してしまった。
そもそも彼は作品歴の中期(昭和40年代前半)までマトモな人間を主人公にしたことが小生の記憶にない。
ざっと思い出しても『ジャングル大帝』→ライオンの突然変異種。『鉄腕アトム』→引き裂かれた存在として擬人化されたロボット。『リボンの騎士』→おとこオンナ。『ブラックジャック』→全身ツギハギだらけの天才外科医といった具合に。(ツッコミはあると思うがここはかんべんしてね)
多くの国における通俗文化状況がそうであるように、大きな動乱の直後はマトモなオトナを主人公にすることがはばかられる。そもそも日本の終戦直後当時なんか大人という大人がことごとく信用を失墜したのだから。だから、もし手塚がそれに逆らって、(当時の価値観に則った)マトモな少女を主人公にしていたら…いや、彼のことだ、戦時中にそれを描いていたら…果たして本作よりも悪意を持った美しさに彩られたモノになっていたかも知れない。
オトナのリアルとコドモのリアルを対比させて戦争を告発する作品も『禁じられた遊び』『ミツバチのささやき』があるし、ファンタジーなら妄想と現実の接点すなわち「奇蹟」を導入した例も事欠かない。『汚れなき悪戯』『バンデットQ』なんかは序の口。救いの無い現実と妄想との並行なら『未来世紀ブラジル』etc。とまあ映画史からの視点にも事欠かないが、本作には日本のマンガを想起させられてしまう。
残酷描写に彩られたファンタジーなら『漂流教室』とか。
妄想の中でしか自由を得られない悲劇なら『天人唐草』とか。
じゃあ絶対に接点を持たない禍々しくも美しい妄想と残酷な現実との対比を現代のVFXでやるとこうなるワケか。
なーんて強がっているが、流血の歴史についてもうちょっと勉強しようとか、時の文化状況、特に物語への渇望史についても知見を深めたいと思ったりと、結構啓発されることが多かったのだ。
最後に人外から見たファンタジーとして現実を撃った名作『綿の国星』がある。が、またの機会に。(引用ばかりで恐縮)
以下は、スペイン近代史を識ってる知人の感想。
巷間流行っている「死にオチ」モノをやるならこの位やれ!と言わんばかりの脚本。それ以前に作者の趣味に走りすぎ、サラリと流している伏線や不必要にしつこすぎる残酷描写。ってゆーか、迷宮のデザインラインの一部は大航海時代の中南米古代文明の引用が散見され、かつて新大陸でさんざん「排除」(現代用語で大量虐殺)した先住文明の祟りなのかも。
ラスト、救いとなる場面の美しさと、現実におけるメルセデスがヴィダル大尉を殺す場面が並行するが、結局救いはない。むしろ、そこでのメルセデスのセリフが大航海時代から続く血塗られた歴史を、これからも繰り返してゆく様すら暗示する。
オフェリアの妄想や想いが「みんなわかってない」なら閉じこもれば?ですむなら世話ぁない。
カタルシスを回避する大胆さは児童文学のものだろう。小川未明の作品なんて筆者にとってトラウマだし。ああ、思い出してしまった。