風の強い土地だから風力発電器が並んでいる。立派な墓が並んでいるから根をおろして生活してきた者の多い、歴史のある土地だ。
中島みゆきの『WITH』のように、「みんな自分のことで忙しい」のが嫌というほどよくわかった歴史を積み重ねてきた土地-スペイン中部。
そして様々な女性像。欧州ではマリアとカルメンがステレオタイプだが、小生としてはそこへシシリーの肝っ玉かあちゃんを加えたい。(北欧の太っ腹ばあちゃんはさておく)

働かない父に乱暴されそうになって逆に殺してしまう娘パウラ。夫婦関係が冷え切っていた母ライムンダはその事実を眼前に「私が殺った」と娘に言い放つ。そして夫の死体を閉店したレストランの冷凍庫に保存する。そこへ映画の撮影隊が食堂として貸し切りたいといってきたからさあ大変。
さらに火事で死んだはずの祖母が幽霊になって娘や孫の前に現れだした。

ペネロぺ・クルスの胸の谷間を撮影するのに、真上にカメラをでんと据えるだけでなく、そのショットに伏線を混ぜるあたりはひょっとしたらと思ったが、やはり監督は同姓愛者だった。胸の谷間に興味がないのではなく、男性的視点を思いつかないという意味です念のため。そのことは衣装の選択や「歌」や「におい」の扱いからも見て取れる。
父殺しに思い悩んでいる暇があったら祖母との失われた時間を取り戻すわ!姉の美貌に嫉妬する暇があったらモグリ美容師として腕を振るうわ!死体の始末に難儀する暇があったらレストランを復活させて一稼ぎするわ!
死すら相対化させてしまう論理ではなく情念でもなく、よどみのない「生活」がここにある。ダンナの死体の始末につきあったんだから、これくらいイロつけてよと言う友人との会話などは今村昌平作品における登場人物並みの図太さ。忘れてならないのは登場人物中で唯一ラスコーリニコフ的存在としてのライムンダの友人。不治の病に犯されており、娘への贖罪のためテレビ出演まで実行するエピソードが挿入されている。「サラバンド」で触れた、神の不在がスペインではこうも変容してしまうのか。つーか、アルモドバルにかかると、か。
これをスパイスの効かせ過ぎととるか、不可欠な食材ととるかは評価はわかれよう。私は後者だが。なんとなれば、
生きる者たちにとって何が大事かは人それぞれだから。当局の監視が怖くないのかって?そんなもの一々怖がって生活できっか!ウチらは天網恢恢疎にしてダダ漏れの現実を嫌というほど見ているではないか!
死体を埋めた場所、傍らの木に夫の生没年を刻むライムンダに「愛しているならなぜ?」といった疑念を抱くのは梅雨時だからか。でも、風が吹き続ければそれも和らぐ。祖母がすべて話してくれたように。